無観客

晦日横浜アリーナでのサザンの年越しコンサートは無観客だった。
渋谷のNHKホールで生中継だった紅白歌合戦もそうだった。
何度か空っぽの客席が映し出された。
歌い手の背中越しにその客席が見えた時もあった。
様々なカメラが切り替わるので僕らテレビやブラウザ越しの観客には気が付きにくいが、
歌手やバンドのメンバーたちは何もない観客席にずっと向き合いながら
ひとつひとつの曲を演奏していることになる。
 
これってどんな心持なのだろう、ということを思った。
本来ならばこの日来てくれたはずのファンを思い描きながら歌ったか。
あるいはプロに徹して、自分と目の前の光景を切り離して歌い切ったか。
ライヴっぽい演出・内容のプロモーションビデオを撮影しているときは
観客がいない状態となることが多いだろうから、案外慣れているのだろうか。
スタジオ撮影の歌番組も多くがそうか。
デビュー前はこうだった、ガラガラだったという若き日を思い返しながら歌った
という人もいたかもしれない。
無観客という慣れない状況が怖いと思いながら歌った人もいるだろう。
 
スポーツの世界の無観客とは違う。
スタジアムに観客がいるといないでは受ける声援の量も違って
雰囲気もガラッと変わるであろうが、
特に球技の場合は戦うべき敵のチームがいる。
何よりもまず向かい合うべきはそこであって、
観客が多いから気が散って負けたとか
観客が少ないから寂しくて負けたとか
そんなことを言う選手はいない。
(いや、心の底ではそう思ってる人もいるかもしれないが……)

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コロナ後の世界。
人類が死に絶えて、誰もいなくなったステージで
AIを搭載した壊れかけのロボットが歌い続けるという光景を僕は思い描いた。
やがて最後や燃料やバッテリーを使い果たしてその歌声も消えていく。
誰もいなくなった図書館で本が朽ち果てていく。
都心のオフィスビルに植物がはびこる。
地上に動くものはいなくなり、鳥たちの群れが不揃いに空を横切る。
 
宇宙の果てから来た別の種族が地球人のDNAを発見し、再現を試みる。
何かが欠けた空っぽの人類が再生産を繰り返し、
かつてのホールを、スタジアムを、埋めていく。
その別の種族は地球人への興味を失い、宇宙船に乗って去っていく。
地球人のコピーはやがて次々にその命を失っていく。
地球は二度目の死を迎える。