先週買ったCD #22:2021/03/08-2021/03/14

2021/03/09: www.amzon.co.jp
Caetano Veloso 「noites do norte ao vivo」 \990
 
2021/03/10: tower.jp
Stuff 「Ny Sweetness: Best Works」 \2420
 
2021/03/11: www.hmv.co.jp
Little Creatures 「30」 \3960
Cuushe 「Waken」 \2200
Bring Me The Horizon 「Post Human: Survival Horror Japanese Edition」 \2420
Linkin Park 「Hybrid Theory 20th Anniversary Edition」 \3278
The White Stripes 「Greatest Hits」 \2750
Kalima 「Feeling Fine」 \2750
Kalima 「kalima!」 \2750
Brian Eno 「Film Music 1976-2020」 \2750
Grandaddy 「The Sophtware Slump ... On A Wooden Piano」 \3062
 
2021/03/12: diskunion.net
135 「135 +4」 \2650
 
2021/03/12: www.hmv.co.jp
The Stranglers 「All Live and All of the Night」 (\2024)
Tash Sultana 「Flow State」 (\2226)
HMVのポイントで
 
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Cuushe 「Waken」
 
Cuushe は京都出身の女性で、エレクトロ系ドリームポップというか、
クラブ系シンガーソングライターというか。
一人で曲を書いて、歌って、音を作る。
というとツジコノリコが先駆者にして第一人者の時代があって、
その二番煎じと捉える人が多かったように思う。毒にも薬にもならぬと。
だけどその資質はあえて言うなら
80年代にアンビエントで清涼感ある密室・箱庭ポップで人気となった
ヴァージニア・アストレイ
デヴィッド・リンチ監督の秘蔵っ子で『ツイン・ピークス』でも
漂うように歌っていたジュリー・クルーズ
といった辺りに近いんじゃないかと思う。
 
1作目のアルバム「Red Rocket Telepathy」(2009)と
ジュリア・ホルターらがリミックスしたEP集
「Girl You Know That I Am Here but the Dream」(2012)を聞くと
木漏れ日の中でたゆたうような音。
あるいはカラフルな万華鏡をゆっくりと回す、子供の頃のそういう記憶のような。
ふわふわと浮かんでいるうちにどこまでも空に近づいて透き通っていく。
 
2作目「Butterfly Case」(2013)やEP「Night Lines」(2015)では
音が若干重たくなった。同じ緑の中でも密林の中を熱病のように彷徨う。
だけどこれまで同様、素足で地面を歩くのではなくわずかに浮き上がっている。
ジャケットに描かれた、かわいらしいけどどこか均衡の崩れた
不思議なアニメ的風景がその雰囲気をよく表している。
それまでどこかぼんやりとあえて焦点を合わせないようにしていたのが、
この頃の音はビートもメロディもはっきりしたものに向かいつつあった。
 
「Waken」は久しぶりの新作。2020年末に出ていた。
調べてみたらこの間、住居への侵入、機材の盗難の被害に合っていたという。
その記事のリンクがあったので読んでみたら Ametsub による事件のことだった。
数年前、近い立場にあった友人がそのことを facebook に書いていた。
その友人の主催するイベントで僕も以前 Ametsub は見ていた。
当時の日記を読み返すと催眠的で美しいノイズと、よい印象を受けていたようだ。
そうか、そうだったのか……
 
最初はそのことを知らずに聞いて、記事を読んだ後でもう一度聞いた。
印象は変わらない。
これまでにない強さを持った音だった。事件のことは関係ないだろう。
密室性は残しつつ、よりカラフルで鮮やかな
踊れるポップミュージックへと向かっていく。
タイトルが「Waken」ということは、覚醒。
私はここにいる、この音を鳴らしているという意思がはっきりと感じられた。
どこか80年代っぽい音の意匠を纏うのもこの時代のらしさか。
でもまだ過渡期であって、次作は誰も追いつけない場所に到達するんじゃないかと思う。
一方で世の中から求められているのは
ダンスミュージックのその先にあるものではないか、とも思う。
 
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Grandaddy 「The Sophtware Slump ... On A Wooden Piano」
 
Grandaddy はサンフランシスコ郊外で1992年に結成。
中心人物のジェイソン・リトルは
プロのスケーターまであともう一歩というところで怪我で挫折。
音楽へと向かう。時代はグランジオルタナティヴ。
しかし彼らはハードな音には向かわず、時代のもう一つの音、ローファイへ。
隙間の多い、壊れかけた、どこか人懐っこいところのある音。
Pavement が日本でも大人気でしたね。
 
97年のデビュー作「Under The Western Freeway」に収録された
”A.M. 180” はダニー・ボイル監督の『28 Days Later』でも
印象的な使われていたので聞くと、あ、あの曲かとわかる人がいるんじゃないかと思う。
ジェイソン・リトルの情けない、頼りない、だけど等身大の声。
一番印象的なフレーズがカシオトーンみたいな音、というのも彼ららしい。
音の出るものをかき集めてやっとできました、というような。
とぼけているようで、彼らなりに本気。
Grandaddy という名前からして、おじいちゃんですからね。
 
このアルバムは2000年の2作目、彼らの代表作とされる「The Sophtware Slump」
(2011年には Deluxe Editionも出ている)
その楽曲をジェイソン・リトルがピアノで弾き語りしたもの。
4枚のアルバムを出して2000年代半ばに解散、その後2010年代に入って再結成。
数年前にアルバムを1枚出して、本格的に活動をと思っていた矢先に
新型コロナウィルスで…… ということなのか。
まずは一人でもできるセッションを、と。
 
……や、そんな難しい話ではなくて、
何か情報はないかと bandcamp を見てみたら発売から20周年を記念してとあった。
あ、そうか。
紹介文には世紀末後の Radiohead 「OK Computer」であって
ピッチフォークは『Y2K の時代のクラシック』と評価したと。
Y2K とは西暦2000年問題のこと。若い人にはもはや何のことかわからないか。
 
ピアノ弾き語り。いい曲ばかりだったんだなと改めて思う。
もともとローファイな飾り気のない音なので印象は変わらないか、と思いきやかなり違った。
ジェイソン・リトルももはや挫折した若者ではなく、いい歳したおっさんになった。
多くは語られなかったが、彼にもその後いろんな悲しいこと、つまらないことがあっただろう。
相変わらずのひょうひょうとユーモラスなところがありつつも、その年輪を感じさせる声だった。
朴訥として、切ない気持ちになった。
近所のおっさんが酒場で誰が聞くでもなく一人弾き語りしているかのような。
 
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Stuff 「Ny Sweetness: Best Works」
 
Stuff はいわゆるミュージシャンズミュージシャンというか、
70年代のソウル系フュージョンの最高峰。
メンツがすごい。ぐうの音も出ない。
ギターがコーネル・デュプリーとエリック・ゲイルの2人。
ドラムがスティーヴ・ガッドとクリストファー・パーカーの2人。
キーボードがリチャード・ティー、ベースがゴードン・エドワーズ。
当時のいろんなアルバムでスタジオミュージシャンとして名前を連ねていた。
彼らの参加したアルバムは探せばすぐ見つかると思う。
ポール・サイモンの”恋人と別れる50の方法”のあのドラムはスティーヴ・ガッドだ、とか。
”Don't Give Up”でピアノを弾いているのがリチャード・ティーだ、とか。
コーネル・デュプリーダニー・ハサウェイの「Live」で弾いてる、とか。
Stuff って英語の意味としては仕事仲間ってニュアンスだったか。
 
1作目の「Stuff」が永遠のマスターピース。トミー・リピューマがプロデュース。
洗練されて、粋で、彼らの活動していたニューヨークの喧騒をどこか感じさせて。
彼らは3枚のスタジオアルバムと2枚のライヴアルバムを残して、
多忙のため80年代初めに自然消滅。
何度か再結成のため集まってアルバムを出したり、ステージに立っている。
 
このアルバムはタワレコが独自に編集した2枚組のベストアルバム。
シリーズとしては第2弾で、昨年は第1弾として
Tuxedo の、同様に2枚組のベストアルバムを出していた。
現役世代では最高のディスコ・リバイバル
共通するのはどちらも粋な音だということ。
タワレコはほんと目利きが多いなと思う。
交渉して実現にこぎつける手腕に感服する。
 
今回のの2枚組「Ny Sweetness: Best Works」
1枚目は彼ら自身のベスト。
CMなどでも使われた ”いとしの貴女”(My Sweetness)や ”As”など。
3作のスタジオアルバムを中心にライヴアルバムからも数曲選ばれている。
 
今回秀逸だなあと感じたのは2枚目の方。
彼らのセッションミュージシャンとしての演奏を集めたもの。
カーリー・サイモン ”You Belong To Me”
グローヴァ―・ワシントン Jr.(ビル・ウィザーズ)
 ”クリスタルの恋人たち”(Just The Two Of Us)など。
こういうコンピレーション、ありそうでなかったな。
買ってから毎日のようにこの2枚目ばかり聞いている。
 
ちなみに。
タワレコのサイトでオーダーして、
3月10日の発売日にセブンイレブンで受け取って夕方、
iTunes に取り込もうとしたら
「このCDの曲目がオンラインで見つかりませんでした。曲を読み込みますか?」と。
あれ? 誰もまだ取り込んでないのか。全世界初?
タワレコの社員がCD情報を登録するんじゃないのか。
僭越ながら、不肖岡村がCD情報を入力、送信した。
曲のタイトルなど間違いがあったらごめんなさい。
いつもならこういうとき、ローカルのファイルだけ変更するのですが。
 
こういうCD情報の登録ってボランティアというか皆の善意で成り立っているので、
時々なんだかなあというのに出会うことがある。
ジャケットに記載された通りに打ち込んでくれたらそれでいいのに、
今回取り込んだのだと
135 「135 +4」
 日本語の曲名も全部ローマ字。外国の方だったのだろうか……
 わざわざタイトルに「2012年発表」と付与。いらん。そもそも2021年の間違い。
Cuushe 「Waken」
 スペースが普通半角なのに全角。これを入れ直すのがめんどくさい。
 iTunes は全角→半角と修正できず、いったんスペースを取り除かないといけない。
 
あなたの趣味を押し付けんでくれ、
あなたのローカルファイルだけでやってくれと思うことがある。
一度 King Crimson のライヴアルバムだったかでひどいのがあった。
・は●にする、カタカナは半角にするなどその人独自の表記のオンパレードで
知識自慢なのか曲名に公演の場所や日時の情報をびっちり。
それが正しいのかどうか、その人とロバート・フリップしかわからない。
 
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135 「135 +4」
 
小さい頃に聞いて、その後出会わないうちに
心の中で相当美化されてしまう曲というのがある。
最近だとこの135の ”我愛你”(ウォーアイニー)
 
僕の小さい頃、80年代後半、ビクターの『ロボットコンポ』のCMで使われて
なんてかっこいい曲なんだろうと刻み込まれた。
ジュール・ヴェルヌの少年向けSFの挿絵で描かれたような、
巨大な工場群のような町で骨董品のようなロケットが打ち上げられ、
機械仕掛けの飛行船が空を横切る。
”我愛你” は煌びやかでメカニカルなイメージがあったけど、
2021年の今、30数年ぶりに聞いたら意外と普通な80年代シンセポップであった。
 
135という名前は日本の標準時子午線、東経135°を指す。
その名が表すように、オリエンタルな無国籍性が音楽性の特徴か。
”我愛你” も僕らが子供心に思い描く、
三国志シルクロードの大陸的な中国、架空の中国という感じ。
こういう無国籍音楽の系譜というのが80年代の日本のロックにあるはずで、
細野晴臣をルーツとしてチャクラ / Killing Time に流れて、というような。
135 からも Zabadak につながったりするのか。
いや、135 は 135 であって突然変異なのかもしれない。
135自体はチャクラ / Killing Time のような実験性はなく、
どちらかというとシティポップの影響が大きいのだろう。
 
正直、僕は ”我愛你”しか知らなかった。
1987年のデビューアルバム「135」に収録されている。
リマスタリングされて2015年に再発されたが、これも今は入手が難しいようだ。
僕も思い出して聞きたくなってから DiskUnion で見かけるまで
しばらく時間がかかった。
再発盤は ”我愛你”のシングルバージョンなど4曲を追加している。
 
彼らは00年代に入ってからも活動、アルバムも10枚以上発表している。
熱心なファン以外には忘れられ、埋もれてしまったか。
このアルバムの他の曲を聞いても、あの時代の音だねと耳には残らず。
やはり ”我愛你”が群を抜いてよい。
調べるとテレサ・テンもカバーしているとのこと。
 
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このアルバムは今年を代表する1枚になるかもしれない。
少なくとも個人的には現時点で No.1 の素晴らしさ。
 
調べてみたら結成は1987年だった。
1990年、5代目グランドイカ天キング
イカ天キングとなって5週勝ち抜きしたバンドの5組目)
となって、MIDI よりデビュー。
その頃のキャッチコピーは『恐るべき子供たち』的なものだったように思う。
まだ10代で、歌詞は英語。デビュー後すぐ、海外に音楽留学。
ヴォーカル・ギター、ベース・キーボード、ドラム・パーカッション。
不動の3人がオーガニックでアコースティックなサウンドを奏でる。
途中、電子音楽に近づいたり、音響系に近づいたりもしながら、
今も活動を続ける。
 
まさかこんなに長く続くとは。本人たちにとってもどうなんだろう?
イカ天出身の有名バンドで今もコンスタントに活動しているのは
人間椅子突然段ボール、同じくグランドイカ天キングだったBEGINぐらい?
グランドイカ天キングだった Flying Kids も たま も Blanky Jet City も
マルコシアス・バンプも、それぞれ人気を集めつつも解散してしまった。
Flying Kids は再結成し、Blanky やたまの元メンバーもそれぞれ活動してますが)
Jitterin’ Jin も最初はイカ天だったんだよなあ。
 
ドラムの栗原務はヴォーカル・ギターの青柳拓次らと Double Famous でも活動。
ヴォーカルに畠山美由紀が加わっていた時期もあった。
その青柳拓次は『タイムレス・メロディ』という映画に主演したこともあった。
KAMA AINA やソロ名義でも作品を発表している。
ベース・キーボードの鈴木正人はプロデューサー、アレンジャーとしても活躍。
それぞれが Little Creatures の外で経験したことを持ち帰ってきて、
Little Creatures の音楽をより豊かなものへと変えていく。
理想的なバンドの在り方だと思う。
 
タイトルが「30」ということで、デビュー30周年のアルバムということか。
前作、2016年の「未知のアルバム」に続いて全編日本語詞。
2枚目が STUDIO SESSION ということで過去の代表曲を再演。
こちらは英語詞となる。
 
クレジットを見るとゲストは参加せず、3人のみ。
ほんと、ギター、ベース、ドラム、たまにキーボードが入るだけの
何の変哲もないシンプルな音楽が奏でられるだけ。
なのにしなやかで、なまめかしくて、芳醇で。
それまでの音楽的経験の蓄積が滲み出るどころか、泉のように湧き出ている。
演奏の隙間からそれはコンコンと溢れ出す。
喜怒哀楽もない。感情に導かれたわかりやすいメロディというものはない。
穏やかな日々の何気なく過ごす瞬間、そのスナップショットの連続があるだけ。
それが僕ら、この時代を生きる者たちにとってリアルな感触となっている。
何気ないものを何気なく描くというのは、ほんと難しい。
 
1971年生まれの彼らも50歳を過ぎたか。
これが成長する、大人になるということだろう。
 
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The Stranglers 「All Live and All of the Night」
 
UK3大パンクといえば、Sex Pistlos / The Clash / The Damned
そこに The Jam と The Stranglers を加えると5大パンクとなる。
その中でも The Stranglers は異彩を放っていた。
パンクムーヴメントの前から音楽活動を開始、
一番若いベースのジャン=ジャック・バーネルは1977年時点で既に20代半ば。
ドラムのジェット・ブラックは40代に差し掛かろうとしていた。
ヴォーカル、ギター、ベース、ドラムというフォーマットのバンドが多い中で
デイヴ・グリーンフィールドは The Doors のようなオルガンを弾いていた。
髭を生やしているという風貌もパンクの中では珍しかった。
一時代前のハードロックみたいな。
 
ヴォーカル・ギターのヒュー・コンウェルは
元々生物学を研究していたインテリで博士号も取得している。
ジェット・ブラックはアイスクリームを製造工場を所有、酒屋の経営でも成功していた。
ジャン=ジャック・バーネルは三島由紀夫に傾倒して、空手も黒帯だった。
そんな年寄りの彼らが最も暴力的で危険なイメージがあった。
彼らの側からあの頃の有象無象のパンクバンドを見ると
職にあぶれた若造がいきがってるだけ。
途端につまらないものに感じられてしまう。
いや、The DamnedThe Clash が音楽的にどうこう、ということではない。
The Strangles の抱えていた音楽性や人生経験が他のバンドに比べて豊か過ぎた。
(全然別次元の話として、Crass にもそれを感じる。
 さらに別次元の話として、The Police もそうだな)
 
僕自身は単調すぎて Sex Pistols を聴くことはもはや全くない。
一番聞くのは The Stranglers ということになる。
2作目の ”Something Better Change” や
3作目の ”Nice 'N' Sleazy” を聞くとえもいわれぬ高揚感がある。
あの頃のUKパンクの中で姿勢、音楽性共に最も狂暴なのは The Stranglers であった。
最初の4作はどれも必聴。
「Rattus Norvegicus」(1977)
No More Heroes」(1977)
「Black Or White」(1978)
「Live (X-Certs)」(1979)
以後の彼らはいわゆるパンクから脱却、
キーボードの存在を活かした耽美的な音楽性に進化する。
ヨーロッパではそちらの方の評価が高いと聞く。
 
この 「All Live and All of the Night」は1988年、彼らの2作目のライヴアルバム。
この後、ヒュー・コンウェルはスタジオアルバムを1枚出した後で脱退、
オリジナルメンバーでのラインナップは最後の時期を迎えようとしていた。
No More Heroes” ”Golden Brown” や”Always The Sun”
日本でもCMに使われた ”Strange Little Girl”bなど代表曲の大半を網羅、
Kinks ”All Day and All of the Night”もカバーしている。
上記のアルバムにあったヒリヒリと苛立った感覚はもはや皆無。
しかし手っ取り早く彼らの楽曲に触れるならこのアルバムがいいか。
僕も高校時代、レンタルCD屋ではこのアルバムぐらいしか置いてなくてここから入った。
彼らは曲がいいので、今もこのアルバムを僕は聞いてしまう。
 
一昨年、リマスター、紙ジャケ、ボーナストラック追加ということで
再発されたのを買い直した。