お墓のこと

ここ数年、地下鉄に乗っていると永代供養墓の広告を見かける。
どの車両にも必ず貼ってあるのではないか。
今日見かけたものにはこんなことが書かれていた。
「年間管理費不要」「お墓の継承者不要」「過去の宗旨・宗派不問」
「まずは資料請求ダウンロード」
デジタルな時代のお墓、ってことなんだな。
 
青山墓地とか都内23区内にちかい墓地・霊園で
新しい区画ができたときの募集がごくまれにあるけど
諸費用込みで500万から600万、
条件の良い場所など場合によってはもう一桁上となると聞く。
しかも申込の倍率が高く、なかなか当たらない。
年間の管理費も発生する。
いざお墓を構えても墓参りに
草むしり、掃除というのが何年、何十年と続く。
 
受付を済ませるとゆったりとした空間に案内される。
自動的に運ばれてきて、手を合わせる。
終わるとまた運ばれていく。
お寺さんの運営していて、元々檀家で、というのならば
それもひとつの合理的なスタイルとしてありか、と思うけど、
時々広告で見かけるのはビルの中の共同墓地みたいなのがありそうで。
運営母体がお寺さんではなく会社というような。
 
○○苑や××殿などとそれらしい名前がついている。
詳しいことを調べたわけではないけど、
そういうのは不安になる。
その運営会社が倒産したらどうなるのか。
預けた骨壺や遺灰は打ち捨てられるのか。
それこそ現代の無縁仏となる。
 
そもそもの話、そういうところに預けるともはや
多くの人は墓参りに行かなくなるんじゃないか。
冒頭の広告も「お墓の継承者不要」と言ってるし。
お金を払って奥にしまい込まれて終わり。
だったらそこまでしてお墓をつくる意味ってあるのだろうか。
 
僕ならば海に撒いてそれっきり、跡形もなくなるとしたい。
いや、そう考えるのも僕がまだ若いからであって
あと10年、20年もすると形あるお墓の存在が気になるようになるのか。
 
3月末か4月の頭、父の命日の頃に墓参りに行く。
ここはもう何年も、もしかして何十年も誰も訪れていないのかもしれない、
そんなお墓を見かけることがある。
刻まれた文字が風化して石そのものに戻っていくような。
それぞれ様々な事情があるのだと思う。
幸福なお墓はほんの一握りなんじゃないか。
そんなことをいつも考えてしまう。