高橋幸宏逝去

先週のジェフ・ベックに続き、今日の朝、高橋幸宏の訃報を知った。
70歳。死因は公表されていない。
2年前の2020年、脳腫瘍摘出の手術を受け、リハビリに取り組んでいたという。
 
坂本龍一が癌を公表、転移もあって何度か手術を受けていた。
ここ数年は体力がかなり低下したと聞いた。
それでも最後の力を振り絞るかのように配信でコンサートを行っていた。
僕には、遺書のように思えた。怖くて見ることができなかった。
ああ、教授も……、と思っていたら……
高橋幸宏の音楽活動についての話は METAFIVE 以後、
最近全く目にしなかったなと思いいたる。
 
恥ずかしながら、僕は高橋幸宏のソロアルバムは1枚も持っていない。
正直に言ってちゃんと聞いていない。
周りの信頼できる音楽好きな人数人からは
3人のソロの中で一番いいのは実は高橋幸宏なんだ、という話を聞いたことがある。
なぜ僕は聞かなかったのだろう。
 
僕がベストテンやトップテンを見るようになったのは1985年だったので、
その頃には既に Yellow Magic Orchestra は『散開』していた。
それでもワイエムオーの名前はあちこちで聞いていた。
子どもながらに大御所としてその存在を感じ取っていた。
そのうちにあれよあれよというまに坂本龍一
ラストエンペラー』で世界のサカモトになって行った。
1993年、10年ぶりの『再生』で話題になった時、
僕はちょうど大学入学で上京したばかりでそれどころじゃなかった。
洋楽かぶれの絶頂期でそもそも日本のロックを聞かなかった。
夏に帰郷した際に妹が『テクノドン』を買っていたので聞かせてもらったけど、ピンとこなかった。
僕が Yellow Magic Orchestra を聞くようになったのはその数年後
熱心な高橋幸宏ファンの先輩に CD を借りて、だったように思う。
 
21世紀に入ってから細野晴臣高橋幸宏のユニット、Sketch Show があって
坂本龍一が加わっての Human Audio Sponge となって
『sonarsound tokyo 2004』が恵比寿ガーデンプレイスで開催されたときに見たことがある。
後にも先にも3人を生で見たのはこのときのみ。
Yellow Magic Orchestra ではないので
細野晴臣はベースを弾かないし、高橋幸宏もドラムを叩かない。
細野晴臣坂本龍一はノートPCでメールのチェックをしているようにしか見えなかったし、
高橋幸宏は弁当箱サイズの小さなシンセドラムを団子の串みたいなのでポヨポヨ叩いていた。
うーむ、ゲストで Cornelius がギターを弾いたものの。
3人を見ることができてよかった、という以上でも以下でもなかった。
高橋幸宏が最も「演奏」を行っていた。
僕の中ではそこで高橋幸宏という存在が止まってしまっている。
 
『サラヴァ』とか『ボク、大丈夫!!』とか『EGO』とか。
聞いてみようかな。
でもそれは今すぐではなく、数年先になりそうな気もする。