表現の自由と多様性

いわずもがなだが。
現代において、優れた芸術作品が「表現の自由」を問われることはない。
作者が主張することはない。
あるとしたら、それまで誰も想像しえなかった新しい価値観を提示したときだけだろう。
 
なんだかなー、と思う安易な作品ほど「表現の自由」を声高に主張する。
展覧会にてまた性器をモチーフにした作品でもめるのか、とか。
表現の自由を語るに足るだけの芸術作品の高みがあるとして、
その下側からやっかんで引き下げようとしている行為としか思えない。
 
「多様性」という言葉も同様で。
俺が何やっても自由だろ? って意味になったのはいつからだろ。
まあネットの村社会ができてからだけど。
「水は低きに流れる」ってその通りだなと思う。
 
ネット内の民主主義とリアルな世界の民主主義とは相いれない、
同時に成立しえない、ということが分からない人が一定数いるのだと思う。
だから正義の名のもと前者が後者を侵食して、大多数の人が不快に感じる。
自分の今いる場所を客観視できず、主観でしか見ないからそうなるのか。