時間旅行(1)

2004年だということがわかった。
21世紀の初めを指定してプラスマイナス5年の差。
場所は青森。外れとは言えまだ本州なのだからまだいい方だ。東京と大差ない。


季節は冬だった。
3月だから正確に言えば冬の終わりに当たる。
僕は雪の中を倒れていた。
投げ出されて地面に激突してそれでも1度立ち上がったのを覚えている。
そこから先は記憶が無くなった。
この時代の人たちが僕のことを助けてくれた。
意識を取り戻したときは小さな部屋の中で毛布に包まっていた。


体のあちこちが痛んだ。
厚手の布地の服を着せられていた。袖をまくってみると擦り傷が無数にあった。
幸いなことに骨は折れていないようだった。
最後の最後に重力場がほんの少しだけ動作したらしい。


ファーストコンタクト。
当初想定していたよりもこの時代の言葉は聞き取りにくかった。
しばらくしてから「方言」と呼ばれるものであることに思い至った。
この時代はまだ言語の統一化が図られていない。
遠く離れた地域同士では語彙や文法に若干の隔たりが発生する。


40代ぐらいの女性が銀か何かを加工して作った巨大な深皿に
沸かしたばかりのお湯を入れて部屋の中に入ってきた。
窓辺に立って外を眺めていた僕を見てひどく驚いた。
思わずその両手を離してしまうところだった。
僕の体を拭いてくれるつもりだったのだと思う。
病院で眠っていた曽祖父に対して看護婦がしていたことを思い出す。


話しかけてきた内容のことはよく覚えていない。
「あなたは誰なのか」「どこから来たのか」
平たく言えばそんなようなことだった。ゆっくりとした口調で何度も繰り返された。
僕は何も答えなかった。
記憶喪失のフリをすることがその場での最も正しい振る舞いのように思えた。
そうすれば後はもう何も聞いてこないし、向こうから適当に接してくれる。


深皿のお湯を毛布の側に置くと女性は部屋から出て行った。
お湯の中にはタオルが浮かんでいた。
僕は着ていた服を脱ぎ捨ててそのタオルを絞って体を拭いた。
部屋の中は寒かった。
隅の方で小さな暖房器具が動作していた。
白くてみすぼらしい、金属製の円筒。中では炎が燃えていた。


何日かが過ぎていった。
彼女の運んでくる食事を僕は朝昼晩と食べた。
大きな家から僕のいた小さな家まで運びに来てくれる。
1度ふとした気まぐれでその小さな家から出ようとしたら強く抵抗された。
逆らわないい方が無難だろうと判断し、従うことにした。
小さな家には部屋がもう1つあって多くの時間をそこで過ごした。
旧式のテレビが置かれていて、
暖房器具をその部屋に動かすと後は1日中スクリーンを眺めていた。
映像+音声。じっとしたまま受動的に受け入れる。


受動的に受け入れるのはテレビだけに限らない。
僕を取り囲むあらゆる物事に対してそのように接しなくてはならなかった。
絶望。深い深い絶望。
タイムマシンから引き離されて僕はなす術も無い。
通信機も壊れてしまっていた。
(雪の中に倒れていたときに周りに散らばったものを拾っておいてくれたようだ)
この時代の携帯用通信機に似せて作っておいたのだが、
電源は入っても電波が届かない。こちらからも送信できない。
僕は取り残された。
時間的にも空間的にも偏狭としか言いようの無い場所に1人取り残された。
誰も助けには来てくれない。
僕がここにいることを僕の時代の人間は誰1人として知りようが無い。
なんでこんなことになってしまったのだろうと思う。
自分の軽率さを恨む。
そして自分の運命を呪う。
考えれば考えるほどあらゆる物事が怖くなってくるから、
例え情報的価値の散漫な映像ばかりだとしても
僕は目の前のテレビを見つめ続けた。
思考を停止させようとした。

    • -

ある日のこと、1週間が過ぎた頃だろうか、
小さな家に何人もの男性たちが現れた。
部屋の中にうずくまりテレビを見ていた僕を無理やり立ち上がらせ、
靴を履かせ、上着を着せて家の外に出させた。
久し振りに触れる外界の空気。冷たかった。
空は分厚い雲に覆われていた。何羽もの鳥がスーッと目の前を横切っていった。
男たちに先導されてゆっくりとアスファルトの上を歩いていく。
振り向くといつもの女性が一番後をとぼとぼとくっついていた。
時々彼らに話しかけられたのであるが僕は黙り通した。
背の低い男が隣を歩いて、しつこく、
好奇心の入り混じったような質問口調で話しかけてきた。
無視しているとしばらくして何も言わなくなった。


僕のいた場所が海の近くの小さな集落であることがわかった。
恐らく漁業以外にはたいした産業はないのだろう。
何もかもが錆付くか朽ち果てていて、どこもかしこも腐った塩のような匂いがした。
建物が立ち並ぶ一角(建物と建物の間は信じられないぐらい隙間だらけだ)を抜けると
「船」がいくつもいくつも海辺に浮かんでいた。
黒い四角いものを背負った子供たちが走ってきて僕の側にまとわりついて、
大人たちが不快感をあらわにした。
子供たちは大声で何かを叫びながら通りの向こうを消えていった。


やがてうっすらと雪に覆われた空き地に出た。
見覚えがあった。
そうだ、ここだ。
空き地の真ん中で男たちは立ち止まり、僕もそれに合わせて立ち止まる。
背の低い男が質問を再開させた。
何を言っているのか少しも理解できなかった。
女性は視線を逸らしたまま、離れたところに1人立っていた。
僕は辺りを見渡した。
残骸でいいから、わずかな欠片でもいいから、
タイムマシンらしき物体が視界に入らないか期待した。


結論から言うと消えてなくなっていた。影も形も無かった。
彼らがどこかに持ち去ったのだろうか。
研究者たちに連絡して引き取ってもらったか、
忌むべきものとして破壊してしまったか。
僕にしてみればどちらでもどうでもよかった。


急に僕は泣きたくなった。
涙が溢れ出して、声をあげて泣いた。
消えてしまいたくなった。


僕はこんな場所に1人置き去りにされて、
いつの日かひっそりと死んでしまうのだ。