「ノーマ・レイ」など

昨日に引き続き、正月に見た映画の話。


ノーマ・レイ」「道」「アリゾナ・ドリーム」「パパは、出張中!」の4本。

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ノーマ・レイ


これまでどうしても見たかった作品の1つ。
新宿のツタヤにもなかったのに、この前ひょっこり DVD 化された。もちろん即買い。
79年のアメリカ映画。
歴代のアカデミー賞作品に関するガイドブックを読んでたら出てきて、
その紹介の写真を見てものすごく惹かれた。


主人公は南部の貧しい町で劣悪な環境の下、工場で働く未婚の母。
労働組合活動に目覚めてあれこれ奮闘するものの
経営者からはやっかいもの扱いされて遂に地元の警察に逮捕されることに。
追い詰められた工場の中で機械の上に立って
「UNION」のプラカードを掲げて仲間に連帯を呼びかける、というシーン。
演じるサリー・フィールドは自分の行いに強い信念を持ちつつも、
これから自分や家族の身に巻き起こる出来事を思うと
不安で押しつぶされそうになって泣きたくなる、
そんな切ない状況が写真を見ただけでも伝わってくる、
女優人生で一生に一度できるかどうかの素晴らしい表情をしていた。
(最近だと「チョコレート」でハル・ベリーにアカデミー主演女優賞をもたらし、
 「ロゼッタ」でエミリー・ドゥケンヌにカンヌの主演女優賞をもたらしたのと
 並ぶぐらい重要な表情だと思う)
調べてみるとサリー・フィールドはこの映画で数々の女優賞を総なめ。
アカデミー主演女優賞とカンヌの主演女優賞をダブルで獲ってるのは
近年ではこの人と「ピアノ・レッスン」のホリー・ハンターぐらいか?


で、実際見たらすごかった。
「UNION」のシーンで涙が出た。
ものすごい存在感で場を圧倒する。
これを感動と呼ばずして何を感動と呼ぶ。
映画史上に残る名場面だ。

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「道」


フェデリコ・フェリーニ監督の54年の作品。いわゆる映画のクラシック。
愛を知らない粗野な旅芸人と、彼に買われた頭の弱い女、この2人の物語。
映画のお手本というか教科書のような映画だ。


最後、主演のアンソニー・クィンが海辺で1人男泣き。号泣。
「ある子供」を思い出す。
どちらも、最後に主人公が心の限りに泣いている様を映し出して感動を呼ぶ。
このご時世、なかなかできないことである。
「ある子供」だって、「普通こんな方法論では映画撮らないよ」という
非常に特異な撮り方を押し進めていって、最後あの場面へと至った。
泣くとか笑うとか怒るとかそういう感情のわかりやすい描写を
一切排してそれまでの場面を積み上げていって、最後の最後に感情をぶちまける。
ある意味ものすごく不自然だ。ありえない。
・・・というかこれぐらい不自然なことをしなければ
最後に「泣く」という行為をもってこれないのである。
それぐらい映画というジャンルはルールがややこしいものになってしまった。


それが「道」では人というものが非常に素直に撮られていて、
主人公2人の怒ったり笑ったりする姿がとても自然だ。
そういう当たり前な物事を当たり前に展開していった末に
クライマックスとして「泣く」のである。
どうして映画はこういう素直な撮り方ができなくなってしまったのか。
この映画が作られたのはもう50年以上前のことだ。
映画はそれ以来進化したのか。それとも、退化したのか。


それにしてもやっぱフェリーニはいい。
サーカスの場面の躍動感と祭りの後のはかなさとか。
8 1/2」をもう一回みたい。どうして DVD にならないのだろう。
ものすごくほしい。
最後の登場人物総出で海辺で輪になって踊ってロケットが打ち上げる場面は
僕の映画作りの原点にして目標だ。

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アリゾナ・ドリーム」


エミール・クストリッツァ監督がアメリカで撮った作品。
確か当時コロンビア大学に招かれて映画論の講師をしてたんだよな。


ジョニー・デップ主演。何気にまだ無名に等しいヴィンセント・ギャロも出ている。
あと、懐かしのフェイ・ダナウェイも。
(板についていないコメディエンヌぶりがいやはやなんとも・・・)


エミール・クストリッツァ大好きです、と言いつつ
実は「アンダーグラウンド」以後しか見てないので
これではいかんなと思い見てみた。


僕のように「アンダーグラウンド」以後の
エミール・クストリッツァにはまった人からすれば随所に
「ああ、クストリッツァらしいねー」というシーンが随所に出てきて
その都度「なるほど」と思うことになるんだけど、
そもそもこれってどうなんだろうな。
公開当時にこの作品を見て面白いと思った人は
単純にジョニー・デップのファンがほとんどなのではないだろうか。


監督は誰でとか、主演は誰でとか、
以前や以後の作品と比較してどうこうで、というのを取っ払って
作品は作品として、独自に存在するものとして鑑賞するべきなんだろうけど
クストリッツァの映画はそういうところからはみ出るアクの強さが魅力だからなー。
そのアクが弱いと作品自体弱いようにどうしても感じてしまう。
アンダーグラウンド」以後と比較するとどうにもゆるくて薄味で冗長。
アンダーグラウンド」以後も冗長と言えば冗長なんだけど、
その鬼気迫るぐらいの冗長さをとことん突き詰めて過剰さで埋め尽くして
どうにもとんでもないところにいってしまってるから、面白い。


「北北西に進路をとれ」とか「ゴッドファーザー」の真似をする
ヴィンセント・ギャロがなかなかおかしい。
それぐらいかな、見所は。
あと、若々しいジョニー・デップの魅力。

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パパは、出張中!


これもエミール・クストリッツァが監督。
ユーゴ時代に撮った出世作


ちなみに、フィルモグラフィからすれば、以下のようになる。
パパは、出張中!」(1985)
「ジプシーのとき」(1989)
アリゾナ・ドリーム」(1992)
アンダーグラウンド」(1995)
黒猫・白猫」(1998)
SUPER 8」(2001)
ライフ・イズ・ミラクル」(2004)


この「パパは、出張中!」にてカンヌで1回目のパルムドールを受賞。
(「アンダーグラウンド」で2回目の受賞、「ジプシーのとき」は監督賞)
これってユーゴから出てきてやんわりと政治批判をしていて、
子役が瑞々しいってところから受賞に至ったのだろうか?
なんか東欧から独特な雰囲気の監督が出てきたぞ!?ってのもあったろうけど。
この年のカンヌを調べてみたら、以下のような作品がコンペに挙がっている。


アラン・パーカー「バーディ」
ドゥシャン・マカヴェイエフ 「コカコーラ・キッド」
ジャン=リュック・ゴダールゴダールの探偵」
ヘクトール・バベンコ「蜘蛛女のキス」
ピーター・ボグダノヴィッチ「マスク」
ポール・シュレイダー「Mishima: A Life in Four Chapters」
クリント・イーストウッド「ペイルライダー」
寺山修司「さらば箱舟」


「コカコーラ・キッド」しか見てないで言うのもなんですが、
(というか唯一見てるのが「コカコーラ・キッド」ってのもなんですが)
もしかして小粒な年だったのかもしれない。
激戦な印象は受けない。
結局のところ、物珍しかったんだろうな。
ユーゴから来た「パパは、出張中!」という作品が。


アリゾナ・ドリーム」から比較してさらに薄味。
脚本を自分で書いてないし。
それでもアコーディオンという小道具や
登場人物総出のパーティーのシーンなど
その後欠かせない重要な要素が既にあれこれ出ているのが興味深い。
(主人公の兄の少年は最初から最後までアコーディオン弾きっぱなしで、
 ラスト近くの結婚式のシーンでも弾いている。思いっきりクストリッツァ的キャラ)


アンダーグラウンド」が直径1mの巨大ピザに
エビやカニ、ベーコン、サラミ、ソーセージ、
ナス、トマト、マヨネーズをかけたジャガイモなどなど
何でもぶちまけて箱を空けたら湯気でむせ返るようになっているような作品だとしたら
パパは、出張中!」はレギュラーサイズでアンチョビ、オリーブにバジルとつつましいもの。
そう考えると見比べて後者の方が好きという人は結構いるかもしれない。
80年代までの旧ソ連・東欧圏的映画のフィルムの質感
とでも呼ぶべきものもそこはかとなく漂ってるし。
もしかしたら、「パパは、出張中!」の方が普通の人にとって受け入れやすいのではないか。
(長さを別にすれば)


それにしてもこの10年後に「アンダーグラウンド」を撮る人の作品とは思えない。
しかも「アリゾナ・ドリーム」の次って・・・。
突然変異なのか、それともそれまでずっと我慢して溜めに溜めてたのか。