ゲルハルト・リヒター回顧展 ③

美術館の中へ。
順路に従っていくとまずは常設展となる。
このコレクションがすごい。
いきなり、クロード・モネの「睡蓮」
モネといえば美術の教科書的に「睡蓮」がまずに思い浮かぶが、
ここにあったのか!?と驚く。
でもよく考えたら「睡蓮」もシリーズみたいなもので何枚かあるんんだよね。
そしてルノワール、ボナール、マティス、ブラック。
ピカソは2枚。54年の「シルヴェット」を見てゾクッとする。
描かれたシルヴェットの目が凄いんですよね。
冷たく覚めた狂気っていうか。
この世ならぬものを見つめているのか、それとも果てしのない倦怠なのか。
いわゆるキュビズムの時代がとっくの昔に終わっているので
人がそれなりに人の形をしているわけなんだけど、
それでもなんか全然違う生き物に見えてくる。
シルヴェットは当時の愛人の1人なのかな。


藤田嗣治シャガール
別室に移ってレンブラント(1枚きり、レンブラントのためだけの小さな部屋)、
さらに別室でマレーヴィッチやカンディンスキー
一番奥が日本の美術ってことで棟方志功の版画や17世紀の屏風。
個人というか一族でここまで集めたってたいしたもんだよなあ。
それを美術館にしてしまうんだもんな。
感心することしきり。


そしてリヒター。
現代ドイツ最高の画家とされる。ヨーロッパを中心に影響度大。
60年代から引き伸ばした写真を元に写実的な絵画を描く一方で
(フォト・ペインティングという独自の手法)
70年代からは抽象的な絵画も同時並行に描く。
その抽象的なのもただひたすら灰色に塗りたくられたものもあれば、
色彩と具象が鮮やかな、テーマ性豊かなものものある。
ガラスを素材にしたオブジェや、写真にペンキを塗ったものもある。


そしてこの人が凄いのは
この時代はこういう作品を作った、次の時代はこういう手法に移行した、
という時系列に沿った展開をしてなくて
以前の手法に軽々と戻ってそれで作品を完成させるところ。
なので、抽象絵画と写実的な絵画が同時並行的に製作されることになる。分け隔て無し。
個々人の中での時間軸という概念がないのかもしれない。
その作品がいつ生み出されたのか、
そしてそれがどれだけの命(その時代に対する批評性、時代を超えた批評性)を保つか、
ただそれだけが意味を持つ。
この作品は60年代に生まれたが、この作品は90年代だった。
ただそれだけの事実があって、
作品そのものの意味は作品そのものに問わなくてはならない。
リヒター自身の経歴とは一切リンクせず、個々の作品が自立/自律している。
そんな印象を受けた。
まあ、でも、リヒターの作品は一目見て分かるぐらいはっきりとリヒターなんだけれども。
要するに、芸術家と作品とが馴れ合ってない。
いい意味で突き放している。


作品については↓を参照。
http://www.dic.co.jp/museum/exhibition/richter/


「蝋燭」のシリーズが有名。
今回は1枚しか出展されてなかったんだけど、見ることができてよかった。
僕がリヒターのことを知ったのはご多分に漏れず
Sonic Youth の80年代末の最高傑作
「Daydream Nation」のジャケットに使われていたから。
灰色の壁をバックに、蝋燭が一本すらりと立っている。
オレンジ色の透き通るような、儚げな炎。
最初写真かと思っていたらよく見るとキャンバスに描かれていた。
写真でいいじゃん。なんでこんなことするの?
というのがリヒターに関心を持ち始めたきっかけとなる。


(続く)