韓国焼肉ツアー その8

バスから降りて、各国の旗が集まる小さな広場にて記念撮影。
参加者40人をA組・B組と2つに分ける。
最前列の左端になった僕はしゃがんで横断幕を持つ。横断幕には
「The Joint Security Area(JSA)
 板門店 共同警備区域 安保見学
 "IN FRONT OF THEM ALL"」と書かれている。
旗は、朝鮮戦争に出兵した16カ国のもの。
カナダとイギリス、トルコの旗があったのを覚えている。
1950年のことなのでもちろん、日本の国旗はない。
小雨がまた降り出す。


軍の施設の中にてブリーフィング。歴史的背景の説明がなされる。
前方に演壇とスクリーンがあって、僕らはパイプ椅子に座る。
1人1つずつ、国連のマークの入ったオレンジ色の通行証を受け取って左胸につける。
誓約書にサインをする。
例えば、最初にこんなことが書かれている。


「1.板門店の総合警備区域の見物は、敵性の地域への立ち入りを伴わない。
  敵の行動(活動)によっては危害を受ける又は死亡する可能性がある。
  (中略)
  また、事変・事件を予期することはできないので国連軍、アメリカ合衆国及び大韓民国
  訪問者の安全を保障することはできないし、敵の行う行動に対し、責任を負うことはできない」


つまり、ここであなたが銃で撃たれて死んだとしても誰も抗議しないよ、ということ。
ザラ紙にそっけなく黒のインクで印刷されているだけ。
荒涼とした気分になる。


以下、説明を聞いてて覚えていること、メモったこと:


軍事境界線上に200mおきに白い杭が打たれていて、実に1292本にもなる。


軍事境界線すれすれに北朝鮮側と韓国側ともに「村」がある。
 北朝鮮側は「Village of Propaganda」
 韓国側は 「Village of Freedom」と呼ばれている。
 これらの村はそのまま国威の表れとなるため、両国常に競い合っている。
 例えば、国旗をより大きなものとし、より高い位置へ掲げること。
 北朝鮮側の国旗は160mの高さで、縦30m×横14m
 韓国側の国旗は 100mの高さで、縦18m×横12m


・「斧殺害事件」(ポプラ殺害事件)1976年
 共同警備区域内のポプラの木が大きくなりすぎて北朝鮮の監視の妨げになると、
 韓国側立場の国連軍の兵士が伐採しようとしたところ、
 北朝鮮の兵士が襲い掛かってきて斧を奪い取り、ボニファス大尉を殺害。
 それまで北朝鮮側・韓国側共に共同警備区域内にて自由に行き来していたが、
 この事件の後、軍事境界線を境にお互い足を踏み入れないこととなった。
 (キャンプ・ボニファスの名前はここから付けられている)


1984年、(旧)ソ連の特派員が写真撮影を装って北朝鮮側から韓国側へと軍事国境線を超え、
 これをきっかけに銃撃戦となる。韓国側は4名の兵士が死亡。


・「帰らざる橋」軍事境界線上にある。
 捕虜の交換を1953年の朝鮮戦争の休戦時に行う。
 北から南へ、1万人。南から北へ、8万人。
 どちらに帰るか決めて橋を渡った後は2度と戻れないことから、この名前がついた。


・今も週1回中立国スイス・スウェーデンの立会いの下、会談が行われる。


・見学の間、手荷物ことを許されるのはカメラと望遠鏡のみ、
 ウェストポーチの類は武器を隠し持っている疑いがあるため不可。
 指を差すという行為は一切禁止。攻撃行為と見なされる。
 ポケットに手を入れることも禁止。
 傘も武器となりえるため、手に持ってはならない。
 土砂降りだろうと、傘を差してはならない。


ブリーフィングを終えて、外に出る。
ここまで乗ってきたバスを乗り換える。
1コースしかなくて周りにはまだ地雷が埋まっている可能性のある、
世界一危険なゴルフ場がブリーフィングを受けた施設の近くにあった。
バスから見えたのはグリーンだけで、もしかしたらパターしか使えないんじゃないの?と思う。


この辺りはまだ、国道1号線。
兵士の宿舎の合間に田んぼがあったりする。ここの「村」に暮らす人たちの食料用。


案内係の若い兵士が同行する。
彼はなんとこの日が兵役最後の日で、明日から民間人となる。
それもあって、この日の案内は多くの物事を大目に見てくれる特別なものとなった。
厳しい人ならばあれこれ禁止で注意されて
どこに入ってもすぐ次に移動となったり写真撮影禁止となるのが、
あちこちでゆっくり時間が取れたし、写真もたくさん撮れた。
非常に幸運なことだとガイドの方は言う。


向かったのはまず、「自由の家
家とあるけど、モニュメントみたいな雰囲気の、灰色の、四角い大きな建物。
中に入ると近代的なデザインの吹き抜けの空間になっていて、塵一つなく、
ヒソヒソ話していても、吹き抜けの中に吸収されてしまう。圧倒的な静けさ。
僕ら観光客は2列になって階段を上り、通り抜ける。
思い浮かぶ言葉は「真空」とか「絶対零度
歩いていると異次元に紛れ込んだかのよう。
何もない山の中に首都のビルを一瞬にして移し変えて、
僕らはその中に永遠に閉じ込められている・・・
そんな印象を受けた。


自由の家を通り抜けると、「沈公園」の小さな楼閣へ。2階に上がる。
写真を撮っていいというので、あちこち撮りまくる。
はるかかなた、森の向こうに北朝鮮側の「村」がある。
アパートというか市営住宅のような白い、そっけない建物がポツリポツリと建っている。
デジカメで目いっぱいズームすると例の旗が見えた。
「あれが北朝鮮か・・・」と思う。
あのアパートのような集合住宅の中に北朝鮮の人たちが実際に生きて、住んでいるわけだ。
しかしどんなにズームしたところで、人々の姿は見えない。
シンと静まり返った抜け殻のように感じられた。
何もかもが幻のような・・・