途中、休憩所に寄る。
日本のパーキングエリアのよう。
衣類を売ってたり、安食堂があったり。
古びて色褪せたカセットテープやCDが店先で売られている。
買う人なんているのだろうか?と不思議に思った。
MP3のプレーヤーから鋸まで、工具をたくさんに積んで売っている屋台があった。
「自由路」というひとたび戦争となったならば滑走路として利用される高速道路を走る。
ひたすらまっすぐの道。北朝鮮へと通じている。国道1号線。なんだか意味深い。
若者たちは免許取立ての頃に練習のため、あるいはデートのため、ドライブにやってくる。
最近の若者たちはここが北朝鮮との国境に近いということに無頓着・無関心であるという。
韓国最北端の村へ。人口3万5000人。
北朝鮮の第3の都市「開城」(ケソン)まで線路が伸びている。
敷設したのはキム・デジュン大統領の時代なので、つい最近のこと。
この工事に先立って、北朝鮮に対して800億ウォンもの援助を行った。工事費ではなくて。
日本円にして実に100億以上ですよ・・・
しかし、この線路がいつか中国・ロシアまで繋がればユーラシア大陸を横断し、
韓国からフランスまで線路で結ばれるということも夢ではない。
「鉄のシルクロード」その経済効果は計り知れない。
板門店の近くまで到着し、検問所へ。
兵士たちが立っている。
職業軍人もいれば、徴兵制度による若い軍人もいる。
徴兵された軍人かどうかは(どこにだったか忘れたけど)横線が入っていることでわかる。
その横線の数で年数が判断できる。半年で1本ずつ増えていって、最大4本。
徴兵制度について。
よく知られていることであるが、韓国の男性は20歳から30歳までの間に2年間の兵役につく。
多くの人は大学1・2年の時期を選んで行く。
兵役を終えると誰もがたくましくなって戻ってくる。
角のあった性格も円くなる。子供っぽい部分も大人となって磨かれる。
(ついでに、テコンドーは二段ぐらいの腕前になる)
韓国の女性たちは兵役の終わっていない男性を将来を託す相手とは見なさないのだそうだ。
兵役について最初のうちは恋人から手紙が来るが、やがて途絶えるようになり、
横線3本の頃、たいがいは別れを迎える。
横線4本ともなると待っていてくれるのは家族だけ。そのことが身にしみるようになる。
なので韓国の若者は親孝行の気持ちを強く抱くようになる。
だいたいの人口に対するだいたいの兵士の数:
日本 1億の人口に対して、 67万人
韓国 4800万の人口に対して、 27万人
北朝鮮 2700万の人口に対して、100万人
バスに兵士が乗り込んできて、パスポートの確認を行う。
旅行会社の用意するリストを手に、パスポートの記載内容と顔写真をチェック。
検問所は軍隊のジープや旅行会社のバスだけではなく、普通のトラックも通っていく。
この非武装地帯の中に存在する「村」で生活している人々へ物資を運ぶためのもの。
検問を終えて「統一大橋」(という名前だったと思う)を渡る。
9年前に現代(ヒュンダイ)財閥の創始者である鄭周永がこの橋を渡った。
元々北側の貧しい農家の生まれで、
若い頃に仕事を求めて牛1頭だけを連れて南側へと向かった。
その時の「利息」として、1001頭の牛を北朝鮮に贈ったのだという。
次の検問所へ。
村の家々が寄り集まっている。普通の、小さな家。
ここの村に住む人々は徴兵も納税もなしと、特権有り。
ソウルより3倍の豊かさで暮らすことができる。
(停戦前から元々暮らしていた人たちなのか、
それともなんらかの事情があって選ばれてこの中で暮らしているのか、聞きそびれた)
2番目の検問所へ。もう1度パスポートのチェックが行われる。
1番目の検問所はまだのんびりとしたもんで兵士たちも余裕ありそうだったが、
ここからはもうピリピリとした緊張感が痛いぐらいに伝わってくる。
チェックする軍人が僕らを見る目つきが全然違う。
まさに軍事基地の中。
この中で勤務する兵隊はエリート、かつ、
北朝鮮に対して優位な立場を示すために容姿まで採用の基準とされている。
なので「かっこいい」兵隊しかいない。
さらにその中でも、軍事境界線上に位置する会談場の警備(北朝鮮の兵士と向かい合う)や
外国人観光客相手に説明を行う軍人はエリート中のエリートとなる。
ここで任務に就いたことを誰もが一生の誇りとする。
「外国人観光客相手に説明を行う軍人」ってのは韓国全土でたった10人しかいないそうだ。
北へ亡命することがあってはならない、というのが第一の条件となるため、
金持ちの子息であることも選定の理由になったりする。
日本人の僕からすると北に亡命?そんなのありえんの?と思ってしまうが、
韓国の軍隊は真剣にその懸念を危惧しているようだ。
「北に入れば向こうで英雄扱いされる」といったプロパガンダにかどかわされてしまうのか。
基地(キャンプボニファス)の中を進んでいく。
宿舎が並ぶ。アメリカの旗を見かける。米軍はその多くが撤収し、今は46人が残るのみ。
国連軍はまだ多くいるのかな。
なお、韓国人でここ板門店を訪問するのは原則不可。
政治家たちの表敬訪問であったとしても申請より許可が下りるまで1年半を要するという厳しさ。
あと、そうだ、ジーパンでも実はいいみたいね。
Wikipediaを見ると。穴が開いてたりしなきゃいいみたいで。
でもジーパンの人はいなかったな。サンダルもなし。
僕は綿パンにスニーカーで、上はTシャツに半袖のシャツ。
半袖のシャツは前を開けて裾を出していてまあラフといえばラフだったんだけど、
誰かに何かを注意されるということはなかった。