童話

ある朝早く、僕が会社に行こうとアパートを出て町を歩いていると
大きな白い犬が2本足で立って向こう側からゆっくりと歩いてくるのに出くわしました。
すれ違うときにギョッとしたのですが、
飼い主が訓練したらまあそういう芸当も可能だよな、と気にも留めませんでした。
その次に小熊とフラミンゴが並んでしゃべりながら近付いてきたのを見たとき、
さすがにおかしいと思いました。
でも、「動物園から逃げてきた??」ぐらいにしか考えませんでした。
この町は大きな動物園で有名で、遠くの町からも人々が見に来るのです。


会社に着きました。
この日は僕が早朝当番だったので、一番乗りでした。
フロアに電気をつけて、あれこれ片付けたり掃除をしたり、仕事の準備を始めました。
終わると僕は自分の席に戻って、うたたねをしました。
やがてドアが開いたり閉じたりする音が聞こえて、騒がしくなりました。
「ああ、そろそろ起きなきゃな」と僕は目を開けました。
眠い目をこすって見渡したとき、さっきよりももっと、ギョッ!!となりました。
まるで動物園のようです。
象が鼻を伸ばして新聞をつかみ、ライオンがコーヒーを飲んでいます。
鳥たちが飛び回ってボールペンを受け渡し、アライグマがコンピューターを動かしています。
隣の席にはピンク色の豚が座っていました。
心なしか昨日までの同僚とよく似ています。彼は話しかけてきました。
「ブーブー。どうして君はまだニンゲンのままなんだブー?」


気を失った僕は、会社の医務室で眠っていたようでした。
起き上がると、白衣を着たカバが側に立っていました。
「よかった、気がついた」
僕は悲鳴をあげました。
「しっ。静かに。落ち着いて。君の症状について僕らにはどうしようもできないから、
 もっと大きな町で見てもらうことにしたよ。救急車がもうすぐここに来るからね」
すぐにもサイレンの音が聞こえてきました。
ブルブル震えながら待っていると、
廊下を慌しく駆けて来る音とガラガラと車輪が転がる音がしました。
ドアがバタンと開きます。
書類ケースを持った黒ヒョウが先頭に立って、
ヘルメットをかぶったドーベルマンが3匹、いや、3人。


僕はとっさに窓から飛び出して(1階だったので怪我はしなくて済みました)
裸足だということも忘れて駆け出しました。
町の中を走り抜けて、アパートまで戻りました。全力で、無我夢中でした。
ドアの前で肩を落とし、ハアハア言いながら一休みしました。
他に行く宛てもないし、そのときの僕にはそれしか思いつきませんでした。
新聞入れの底に隠していたスペアの鍵で中に入りました。
いつも通りの僕の部屋でした。


テレビをつけました。
教育番組だろうとバラエティーだろうと、どのチャンネルも動物たちばかりでした。
ニュースをやってるところを見つけて、そこにしました。
「○○県○○町」と僕の住んでいる町の名前を耳にしました。
続けてアナウンサーが言うには、「ニンゲンが1匹まだ潜んでいるようです。警察は・・・」
僕はテレビを消しました。
遠くでパトカーのサイレンの音が聞こえたような気がしました。
ああ、ここにいたらすぐにも見つかってしまうだろう。
でも僕は逃げ出す気にはなれませんでした。
どうせどこにいても一緒だろうと。


僕はベッドにもぐりこむと布団を頭の先まで引っ張って何も聞こえないようにしました。
「神様」と僕はお祈りをしました。
「どうか僕を犬にしてください。目が覚めたら、僕を犬に変えてください」
僕は「神様!」「神様!!」と何度も叫びました。


いつのまにか眠っていたようでした。床の上にいました。
いつもと変わらない部屋の中、不思議なことに僕は逮捕されなかったのでした。


あれ?と僕は思いました。体の様子がなんだかおかしい。
部屋の中の姿見を見てみると、僕はなんと、犬になっていました。
試しに口を開けて「アーアー」と言ってみると、「ワンワン」という鳴き声になりました。
ああよかった、と僕は安堵のため息をつきました。
僕は1日遅れただけなんだ。みんなと一緒に僕も動物になれた。


(喜びでいっぱいのそのときの僕は「なぜ昨日、いっせいにみな動物になったのだろう?」
「なぜ?どんなふうにして?」そんなこと、考えもしませんでした)


前の日鍵を掛けなかったのか、ドアが開いていました。
僕は4本の足で歩いて、部屋の外に出ました。
昨日のみんなのように2本足で歩くことはできませんでした。
まあいいや、そのうち慣れてくれば立つこともできるだろうと
そのときの僕は思いました。


僕はトコトコと鼻唄を歌いながら歩きます。
角を曲がって、大通りに出ました。


えっ!?


僕は驚きました。
町を歩いているのはニンゲンたちだったのです。
一昨日までの、僕が普通だと思っていた世界に戻っていました。


そして僕だけが犬になっていたのでした。


僕は町の中を果てしなく歩きました。走ったりもしました。
いつのまにか日が暮れていました。
空腹を感じた僕がとりあえずアパートに戻ろうとしたところ、
僕は頭を強く殴られて気を失いました。
今思えば野良犬を駆除するパトロール員たちにつかまったのでしょう。
僕はどこか固い場所に寝そべって、
車に乗ってどこかに運ばれていくのを、夢うつつの状態で知りました。


時間はどこまでも引き延ばされていって、
依然として僕は車の中でどこかに運ばれています。
目を開けることが怖くて、僕はずっと暗闇の中にいます。
もう1度眠って目を覚ましたとき僕はニンゲンに戻っているのか?
それとも犬のままなのか?
僕だけがニンゲンになって、またみんなが動物になってしまうのか?
そんなことがグルグルと頭の中を駆け巡ります。


それより僕はどこへと運ばれているのでしょう?
いったい誰が、あるいは、何が待ち受けているのでしょう?


車は信号で停まったりもせず、どこまでも走り続けます。
少しずつ、スピードが上がっていきます。


目を開けることが怖くて、僕はずっと暗闇の中にいました。