ビートルズやブルーハーツ

中学校のとき、ビートルズブルーハーツと出会っていなかったら、
僕の人生はどうなっていただろうか?
音楽の洗礼ってやつだ。


これほどまでに音楽というものを好きになっていただろうか?
遅かれ早かれ何かに出会って、今と同じぐらい詳しくなっていたのだろうか?
たぶんそうなのだろうと思う。
辿るルートと要する時間は異なっていても、ゴールは一緒なのではないか・・・
デスメタルに出会って、以後それオンリーという人生もあったかもしれないが)


それにしてもなぜ僕はこれほどまでに音楽というかロックにはまったのか?
振り返って考えてみるとよくわからない。
必然性が感じられない。
気がついたらそこにあって、それしかなかった、としか言いようがない。
歌が歌えるわけでもなく、楽器の演奏に興味が無く。というか練習する気になれず。
もっぱら聞いてるだけ。
でもそれが、一生続くのだと思う。不思議としか言いようがない。


これに限らず、「まあ、そういう人生なんだろうな」と思う局面が最近多い。
「なぜ今、この会社でこの仕事をしているのか?」
「なぜあのとき、あの国を訪れてみたいと思ったのか?」
考えてみたところで、特に理由なんてない。
流されてる?そうなのかもしれない。
だけどその分、とりたてて後悔も無い。
そういう性分なのだろう。
ところどころ自分で決断して決めてきたわけだし。


本当はもっと上を目指せたのか?
本当はもっと違う場所にいたのか?
そんなことを考え出したらきりが無い。
年収4000万で外資系企業に転職したとたん、車にはねられて死んでたかもしれないし。
生きてて健康でとりたててお金に困ってなくて
時々うまいもの食って年に1度は海外旅行してるのだから、
これはこれでもう十分な人生なのだろう。
僕という人間に与えられた運命の選択肢の数々から到達する地点をランク付けしたとき、
どちらかと言えばかなり高いところに今の自分はいるのではないか。
そんなふうに思うようになった。


そのとき努力したこととか、そのとき諦めたことの積み重ね。
その必然性により、今の僕がある。
そして、まあ、こういう人生になった。


同じだけの年が過ぎたら、僕は64歳になっている。
そのときも同じような気持ちでいられるだろうか?
だとしたらそれはとても幸福な人生のはずだ。
僕は音楽を聞きながら日々暮らしている。
目を閉じて過去を振り返ってみたりしながら、
時として懐かしく思い、ビートルズブルーハーツを聞いてみたりもするのだろう。
そのとき、どんなふうに聞こえるのだろうか?
若いときと同じような気持ち、同じような感触で聞こえるということはさすがになくて
ただただノスタルジアに包まれているのか?
それでもいいか。
それで、いいのだろうと今の僕は思う。