青森にいる間に、思い出したこと。
昔書いたことがあったかもしれない。
小学校4年生だったか5年生だったか、
バレンタインデーの日にクラスの子からチョコをもらった。
生まれて初めてのことだった。
家に帰って母にその話をした。母が笑って、喜んだ。
ホワイトデーの前日、母が近くのスーパーで買ったクッキーがテーブルの上にあって、
その子に学校で渡すように言われた。
僕は次の日、学校でその子に渡した。
何て言って渡したのか、その子がどんな反応を示したのか、覚えていない。
僕はムチャクチャ照れて、恥ずかしそうにしていたのではないかと思う。
その後その子とは特に何もなく。
その子が僕のことを好きだという話はどこかしらから聞こえてきてたけど、
僕はただの子供だった。思春期はまだだいぶ先のことだった。
だから好きだのなんだのということがどういうことなのかよく分かっていなかった。
中学校に入った頃には何もかもが消えて無くなってて。
その子と廊下ですれ違っても何が起こるわけでもなく。
その子はヤンキーになっただろうか?
いや、違う。その予備軍みたいなところにいたような気がする。
たぶん中学に入ってから、話したこと1度も無かったのではないか。
高校はぜんぜん違うところに行く。
その後会うことは無かった。
何年か経過する。
僕は東京の大学に通うため上京して、青森にはたまに帰ってくるだけになる。
その子がどうしているのかは風の噂で聞くことも無かった。
あれはいつの年だったか。
大学院1年目だったか2年目だったか。
夏休みで1ヶ月ぐらい帰省してて、今夜深夜バスで東京に帰るという日。
なんかの用があって僕は自転車で駅前の繁華街まで出かけ、
その帰りに青森市では「バイパス」と呼ばれている西側の国道を走って、
ロードサイドの大きな家電量販店に入った。
母に頼まれた何かを買いに行ったはずで、ビデオテープだったように思う。
なんでビデオテープがそのとき必要だったのかはよく覚えていない。
とにかく、なんかそういうものを手にレジへと向かった。
そのときの僕は突然の夕立に遭ってずぶ濡れだった。
途中で傘を買うことも無く、雨に打たれるがままその店に入った。
雨に濡れたTシャツが肌に張り付いていた。
髪も顔もびしょ濡れだった。
僕が並んだレジをふと見ると、その子が立っていた。
胸に名前の書かれた札はつけていなかったけど、見てすぐに分かった。
(いや、つけていただろうか?)
驚いた、というかドキドキした。どうしよう、と思った。
その場を離れて隣のレジに移る?あるいは何か買い忘れたフリをして列から抜ける?
迷っている間に僕の番が来て、
レジカウンターに置いたビデオテープをその子が手に取ってレジに入力をした。
僕の手は濡れていて、掴んでいたビデオテープも濡れていた。
僕はその子を見るでもなく、目を伏せるでもなく、
どこかを、強いて言うならば状況の全体を、見ていた。
彼女は20代になったという以外には何も変わっていなかった。
僕に気付いただろうか?ってことが気になった。
何かを僕は言うべきだろうか?
「やあ、僕は小学校のクラスの同級生なんだけど、覚えてる?」みたいなこと。
間が抜けてるよな、と思った。
後ろには僕の次に待っている人がいて、周りには同じようなレジが並んでて。
何の会話もなく機械的に物事が進んでいっている。
そんな中ではこういう話、できそうになかった。
それ以前に僕には、勇気が無かった。
話し掛けられなかった。
23歳か24歳。
向こうはどういう境遇だったのか。
ずっと青森にいたのなら、結婚して子供がいてもおかしくはない年頃だ。
そしてレジ係はレジ係であって正社員ではない。
結婚して、あるいは離婚して、昼の間パートに出てたのか。
それともまだ家にいて、アルバイトで通ってたのか。
財布からお金を取り出して渡して、お釣とビデオテープの入った袋を受け取って、
「ありがとうございました」か何か言われて
(声はまさしく彼女の声だった、・・・ように思う)
全てが終わって、僕はその場から去った。振り返りもしなかった。
小降りになったものの雨はまだ降り続けていて、
僕はそのまま自転車に乗って濡れながら家に帰った。
向こうが僕のことに気付いたのならば、僕のことをどんなふうに思ったのだろう?
誰だか思い出せないけど、どっかで会ったことのある人だ、ぐらいには気になっただろうか。
いや、仮にも僕はその子が生まれて初めてチョコを渡した相手なのだ。
だったら覚えていてもおかしくないんじゃないか。
でもそのときの僕は顔も髪も雨に濡れていて・・・
そんなことをウダウダと考えながら、夜行バスの中で眠れずに過ごした。
時間が巻き戻ってその日をやり直せるなら、僕はどうしただろう?
今、書きながら考えてみた。
33歳か34歳。あれから10年が経過している。
あの子はどこでどうしているのだろう?
まだレジを打っている、ってことはさすがにないだろうけど。
意外と東京にいるかもしれないとか、だったらどういう職業に就いているだろう?とか。
そういうとりとめもないことを。
あの子は僕のことなんて、きっと忘れてしまっている。