「I'M NOT THERE」

月曜日に見たもう1本が「I'M NOT THERE」
http://www.imnotthere.jp/


こちらは正直、イマイチだったかな・・・
トッド・ヘインズ監督の作品は僕割と好きで
ベルベット・ゴールドマイン」はなかなか面白かったし、「SAFE」も見ている。
だけどこの人はどうしても企画・アイデア先行で、
映画そのものとしての充実感はどっか置き去りにされている。
今一歩突き抜けない。歯がゆい思いをしながら見ることになる。
でも、この人映画が好きなんだなあという思いは伝わってくるし、
詰め込まれた多彩なアイデアが常に画面中を溢れてるってのが好感持てるんですよね。


ボブ・ディランの生涯を、6人の俳優で描くという野心的な作品。
アルチュール・ランボーを名乗る詩人(ベン・ウィショー
ウディ・ガスリーを名乗る放浪する少年(マーカス・カール・フランクリン)
・新進気鋭のプロテスト・フォーク・シンガー(クリスチャン・ベイル
・今をときめくロックスター(ケイト・ブランシェット
・映画スターにして、破綻した家庭の夫(ヒース・レジャー
・ビリー(・ザ・キッド)を名乗る西部劇のアウトローリチャード・ギア
カトリックの先例を受け、ゴスペルを歌う宗教家(クリスチャン・ベイル一人二役


これら6人/7人のエピソーが互いに入り混じりながら機関銃のように語られ、
そのイメージが乱反射する。
色彩やコントラスト、映像のシャープさなど撮り方も変わる。
このアイデア自体はとてもいい。
確かにこれ、ボブ・ディランの複雑でミステリアスな姿を描くには持ってこいの手法。
「彼は常に変わり続けた」と言われることの多いボブ・ディラン
それを端的に7つの人格に分けたっていうのが解決策として非常にスマート。


だけどこの手法が何らかの映画的感動を生むかといえば、それはまた別の問題であって。


ぶっちゃけた話、どのディランが僕の中のイメージに近いかなあ??
って比較しながら見て、結局誰もがそうだろうけど
ケイト・ブランシェット演じるロックスターが一番いいね、で終わり。
女性が演じることによって、最も得体が知れない、
しなやかでしたたかな生き物だった時期のディランが体現できたように思う。
映像も一番スタイリッシュな撮られ方してたし。


結局は「ボブ・ディランをいかに描くか?」がテーマ。
だから事前にボブ・ディランとはどんな人なのか、どれだけ偉大なのか知っておく必要がある。
全くの予備知識無しに、最低限「Like a rolling stone」を聴いて感動したこと無しに、
単なる伝記ものとして見てしまうと何がなんだかさっぱりわからない。
しかも7人も出てきて、これ全部同じ人??と混乱するだけ。
例えば、なんで最初と最後にバイクに乗ってるシーンが出てきて、最後の方は事故になるの?
このエピソードって大事なの?そうじゃないの?と。
「ディラン・フリークには当たり前のことをさらりと語る」ってことが
初心者にとっては敷居をかなり高くしている。


結果、ボブ・ディランを知っててトッド・ヘインズのファンじゃないと辛い映画。

    • -

そういう僕がボブ・ディランを本格的に聴き始めたのってつい最近のことなんですね。
正直、偉そうなこと言える立場じゃないです。


10代の頃、聴いても全然ピンと来なかった。
どの曲も同じに聞こえて、ブツブツつぶやいてるだけだし。
記憶に残ったのは「風に吹かれて」と「Like a rolling stone」ぐらい。
総じて地味。どこが偉大なのかちっとも理解できない。
ブライアン・フェリーだとかバーズだとか、他の人がカバーした曲の方が聞きやすい。


それが30過ぎてようやく、何かがつかめた。
いまだもってよく分からない。
だけどこの人はすごいなあ、道なき道を進んでいった人なんだなあ
というのは分かりかけてきた。


ぶっ飛んだのはブートレッグ・シリーズの
ローリング・サンダー・レビューの中で演奏された
原曲とは似ても似つかぬ「激しい雨が降る」
この人の音楽の捉え方はとてつもなく深いレベルで
なされているのだということを肌で知ることになる。
映画の中でも語られていたけど、何よりもまず音楽とは神秘的なものなのだ。

    • -

一番かっこよかったシーンは最後の最後にボブ・ディラン本人が出てきて
ハーモニカを吹いてるところだったりするんですよね。
負けちゃってる。本人には勝てない。