ニューヨーク その28(6月3日)

okmrtyhk2008-06-26


この日はロックフェラー・センターで夜景を見るという以外に予定は無く。時間が空く。
ブライアント・パークまで歩いて行って、地下鉄の(F)ラインに乗ってチェルシーへ。
有名なチェルシー・ホテルを見てみたかったし、
アート・ギャラリーが多く集まっている通りがあるみたいだから。
「23St. 6Av.」で下りる。
スタバがあったので、まずは入る。
結局セントラル・パークでも何も飲まなかったし、ようやく一息つく。
レモネード入りのアイスコーヒーを飲む。
日差しが暑くて、歩き疲れて、生まれて初めて、スタバの飲み物を心の底からおいしいと思った。
まああの状況では何飲んでもうまかっただろうけど・・・


チェルシーは5番街の喧騒もなく、ミッドタウンの華やかさもなく、まあ普通の下町。
というか中央線で言ったら中野みたいな印象を受けた。
チェルシー・ホテルはすぐ見つかる。
壁に先日亡くなったばかりのアーサー・C・クラークを追悼する文章が壁のプレートに刻まれていた。


SIR ARTHUE C. CLARKE
He invented communication satelites in 1945.
His "Explosion pf Space (1952) was used by Wernher von Braun
to convince President John F. Kennedy to go to the Moon.
and
he wrote "2001:A Space Odyssey"
here at The Chelsea Hotel
(an image of "HAL9000")
"I'm sorry, Dave. I cant' do that"


サー・アーサー・C・クラーク
彼は1945年に(世界で初めて)通信衛星に関する構想を立案する。
彼の1952年の著作「Explosion pf Space」はヴェルナー・フォン・ブラウン博士が
時の大統領J・F・ケネディアポロ計画を進言する際に利用された。
そして彼は「2001年宇宙の旅」をここ「チェルシー・ホテル」で執筆した。
HAL9000のイメージ図があって、「2001年宇宙の旅」の有名なセリフ)
「申し訳ないと思います、デイヴ。私にはそれができないんです」


中に入る。狭いロビーにソファーがいくつかあるだけ。
けばけばしいけどどことなくシックな内装。何の脈絡もなく並ぶ額入りの大きな絵画。
何十年もの年月のうちに落ち着きを見せるようになったのだろう。
アンディ・ウォーホルが住み着いて映画「チェルシー・ガールズ」を撮影。
シド・ヴィシャスがナンシー・スパンゲンをナイフで刺し殺す。
ウィリアム・バロウズが「裸のランチ」を書いた。
60年代の初め、ミネソタから来たばかりの若き日の無名のボブ・ディランがここに住みついた。
そしてパティ・スミスがロバート・メイプルソープと共に住んでいた。
もっと前の時代だと、O・ヘンリー、ディラン・トーマス、トマス・ウルフ、
テネシー・ウィリアムスが滞在して作品を書いた。
錚々たるメンツ。僕なんかからするとニューヨーク・カルチャーの聖地。
ようやく目にすることができた。
でも、ロビーだけ見てると至って普通の安ホテル。
芸術家を惹き付けた「何か」は既に失われてしまったか。
上に挙げたような伝説の数々は70年代までで終わってしまっている。
今もまた、世の中の価値観を変えるような芸術家が住んでいるのだろうか?
チェルシー・ホテルについては以下参照。
http://ugaya.com/private/music_15.html
http://tokyomannequin.tokyobookmark.jp/e4459.html
なお、隣のギター屋「チェルシー・ギターズ」でジミ・ヘンドリックスがギターを買ったのだという。


閑散とした通りを西へ。
アート・ギャラリーの建ち並ぶ 10Av. に入る。
通りの入口にまず1つギャラリーがあって、ガラス張りのスペースに刺青された豚の剥製が置かれていた。
一見、普通のビルが並んでいる寂れた一角でここが本当に?と思う。
しかし、足を踏み入れてみるとどのビルも1階がギャラリーになっていた。
ほんとかどうか分からないけど、
壁にそっけなく3階にマーク・コスタビのアトリエだったかギャラリーと書かれたビルがあった。
他と違ってものすごく雑然としたビルだったのでちょっと怖く、入ってみなかった。
ギャラリーはどれも同じ。受付があって、白人の若い男性か女性がPCに向かってて、
奥のフリースペースの白い壁に、あるいは地味な色の床にアーティストの作品が飾られている。
日本の画廊みたいに値札とか「売約済み」とか貼っていない。
小さな格下のギャラリーはただ飾ってるだけ、
大きな格上のギャラリーともなると黒人の守衛が絵の前で番をしている。学芸員ではなさそう。
なんか決まりというか暗黙のルールがあるのか、
どのギャラリーも扱うのは1人のアーティストないしは、2人まで。
通りの南側が小さなギャラリーで、そこの一押しと思われる若手の作品を飾っている。
これはたいして面白いものはなかった。ただただ奇抜なだけで、いいと思えない。
北側が大きなギャラリーで、有名な、あるいは有名になりつつあるアーティストの作品だった。
写真を手がけているギャラリーで、「あれ?この人のMoMAで見た覚えあるぞ?」とか。(気のせいかも)
次の日のホイットニー美術館で見た、2年に1度の「ホイットニー・ビエンナーレ」に
選ばれていた人の作品を扱っていたギャラリーもあった。(これは確実)
大掛かりなギャラリーは単にその都度作品を飾っているだけではなく、
たくさんのアーティストの作品を扱う保管庫があって、どっかのギャラリーでチラッと垣間見れた。


面白いと思った人の名前はメモするか、
簡単なバイオを配ってたところではそれをもらってきた。
際立って興味深かったのは、Robert Therrien という人。
Gagosian Gallary という一番大きなギャラリーで見た。
ニューヨークに3つ、ロスに1つギャラリーがあるうちの、
僕が行ったのは「24Th Street」ってところになる。
http://www.gagosian.com/artists/robert-therrien
http://www.artnet.com/artist/16534/robert-therrien.html
日常生活で見かける様々なもの、
パイプ椅子や鍋の蓋といったものをばかでかいサイズにしたオブジェを製作する。
パイプ椅子は僕よりも大きい。それとセットの机があったり。
これは見なきゃ面白さはわかんないだろうな。見た人みな、驚いて口をあんぐりさせていた。
写真を撮ろうとしたら守衛の方に「No Photograph, Sir」と注意された。残念。
これってただ単にユニークなだけじゃなく、何か視点を感じさせるんですよね。
あなたは日々こういうものに取り囲まれていて、こういうものを利用してるんですけど、
意識してます?っていう。それってこんなにも不可解なもんなんですよ、と。


次に、ユージン・スミス
今調べたら有名な写真家だということが分かった。
漆黒の闇のような黒と希望のない白のコントラストで人と風景を切り取る。
恐ろしい、悲しみに満ちたこの世界と、その中で耐えて生きていくだけの人間と。
回顧展がギャラリーで行われたということか。作品が見れます。
http://www.silversteinphotography.com/galleries.php?gid=355
(上でMoMAに展示されていたと思った、と書いたのはこの人の写真)


この2人かな。よかったのは。