Anarchy in the ...

一昨日、”アナーキー””アナキズム”について書いたので、ついでに。
Sex Postols 「Anarchy in the UK」はアナーキーなのか。
結論から言うと、そんなわけない。諧謔だよね。パロディ。
そもそもマルコム・マクラレンという黒幕が集めたメンバーって時点でおかしい。


これ、今の日本だと誤解を生むかもしれないが、
このところ僕は”アナキズム”に興味を持っている。
辞書を引くと真っ先に「無政府主義」と出てくるが、
今の民主党政権に対してどうこうとか
尖閣諸島を巡る政府の対応にどうこうとか言いたいわけではない。
自爆テロを行うイスラムの若者に同情するというのでもない。
僕自身ついこの間まで
テロリズム””コミュニズム””アナキズム”の違いがよくわかってなくて、
テロリストの思想的背景のうち、行動原理に当たるものがアナキズムだと思っていた。
社会組織理論がコミュニズム
…違うんですね。自分はそれらと無縁の人生を送ってきた、というか
「そういう物事に興味を持つべきではない」という日本の”良識”の中で生きてきて、
ちょっと浅はか過ぎた。


”Anarchy”は語源としては”An-archy”となり、「支配のない」という意味となる。
上からの抑圧的な権威、特に国家や政府の権力を否定して、
個々の人々(ないしはその連帯としての集団や社会)の自由を何よりも尊重する、
というのが本来のアナキズムだった。
それでいくとその考え方の源流は東西問わず
紀元前の思想家たちにも見られるんですね。


その潜在的な地下水脈が滔々と流れ続け、一気に噴出するのがフランス革命となる。
このとき思想の対象としてどんどん言語化されていったわけですが、
例えば”革命”と結びつくことで世間的なイメージが固まっていったのが
アナキズムであって、”女性”と結びついたのがフェミニズムだったりする。
実は根っこは一緒だと僕は思う。
ラディカルな主張や行動に出る人たちが目だって、その色眼鏡で見られるのも一緒。
本当は穏健な立場の人もいるわけで様々な流派がある。
(極端に個人の自由を尊重するようになると”リバタリアニズム”となる。
 僕自身はこっちの方が、「恐い」と思う)


地下水脈はその後も流れ続け、文学や音楽や映画など様々に現われてきた。
ロックというジャンルはその際たるものであって、
Sex Pistols よりはジョン・ライドンがその次に結成した Public Image Ltd や
その音楽的系譜の前世代に連なる CAN の方が
断然アナキズムの思想を体現しているように思う。
クラウトロックで言うと、60年代末にコミューンを形成した faust であるとか。


最近のロックがどうにも小粒なのは、その辺りの危機意識がないからか。
宅録宅録でいいけど、それはそれで個人の自由だけど、
心の底で牙を剥くような「反抗」の意思に乏しい。
「ビューティフルな音楽を奏でられればいいんです」だと
何かが抜け落ちて、やがて退化していく。
革命でなくてもいい。
焦燥感であるとか、やむにやまれぬ気持ちが衝動になって音になり、突き刺さる。
それは恋心であってもいい。


あるいは、それまでにない価値観を生み出そうとする。
「前の世代の音楽は全部退屈だ、くだらない」と吐き捨てるぐらいであってほしい。
好きな音楽を並べ立てて
「先人たちの音楽から多大な影響を受けています、ありがとうございます」
だとそこから先、何も生まれない。
日常生活を突き破る、下から突き上げる。そういうものでないと。


自由とは無邪気に「好きなことをする」ではない。
比ゆ的な意味で、それは(既存の、権威化した軋轢との)戦い、
つまり、変革の意思でなくてはならない。