牛タン・麦とろというもの

牛タンの「ねぎし」が実はかなり好き。
荻窪駅前にも店を構えていて、今日の昼も行ってきた。
学生時代に先輩に教えてもらってから、以来なんだかんだで毎月必ず食べている。
土鍋にグツグツ入った、和風シチュー定食がとにかく大好き。
給料日後だとカルビを追加して食べたりする。
けっこうな贅沢。これに生ビールをつけたりするとたまらない。
青唐辛子のなんばん味噌漬けもうまい。


もちろん牛タンのねぎし定食も食べる。
それにしてもいつも思うのが、この牛タン+麦とろという組み合わせ。
なぜここまでピッタリとはまるのか? 一種の発明とすら思う。


いったいどこの誰が始めたのか?
意外とねぎしだったりしてとサイトを見てみたら
http://www.negishi.co.jp/company02.html
1981年に新宿歌舞伎町に1号店を開き、
その時点で既に牛タン+麦とろ+テールスープの組み合わせであったという。
(30周年なんですね!)


でもやっぱ牛タンといえば仙台じゃないですか。
そっちの方面かなと思って調べてみたら、
麦とろはともかく牛タンとしては「味太助」という店が発祥らしい。
テールスープも。昭和23年のこと。
http://www.aji-tasuke.co.jp/history.php
しかし、ここはとろろは提供していない。
どうも後発の店が始めたことが全国的に定着したようだ。


なお、この「味太助」東京だと水道橋に分店があるようなので近々訪れてみたい。
http://r.tabelog.com/tokyo/A1310/A131003/13006276/


あちこちサイトを見ていると
仙台に駐留していたアメリカ軍が廃棄していた
牛タンをもらって焼いたのが始まりとか
その頃米の飯が貴重だったので麦飯となったとか。
牛肉がとてつもなく高価だった時代のこと。


話を綜合すると
麦飯+牛タン+テールスープという流れと、
麦飯+とろろという流れがどこかで一緒になったようですね。


麦とろ飯そのものは
東海道五十三次」や「東海道中膝栗毛」にも登場するぐらい古く、
静岡県の街道筋にある鞠子(今は丸子)というところの
名物として描かれていたとのこと。