暑い。東京はこの夏一番の暑さなんじゃないか。
迷いのない日差しが強い。
床屋で髪を切った後、涼しい場所本を読みたいと丸ノ内線で東京駅まで出る。
三越の先に「日本橋ふくしま館 MIDETTE」があることを思い出し、行ってみた。
活気がありますね。店員が何人も立っていて
ゆべしやみそ漬けなど一生懸命福島の特産品を紹介している。
(飯田橋の青森県のアンテナショップとはえらい違いだな…)
売りたい、というのはまた別の熱意を感じた。
パンフレットをいくつかもらってくる。
その中に「おもてなし案内人ガイドブック」というのがあった。
30ページ丸ごと、福島県の案内人の紹介。
各市町村の観光協会などのボランティアガイドだけではなく、
「ふるさとで生きる姿を伝えたい」
「相馬の“今”を本気で語り、伝える」
「走り駒に復興への想いを託して」
「津波体験と復興の姿を笑顔で案内」
といった「語り部」も多く載っている。
直接的な震災体験に限らず、
「伝統のあんぽ柿を守る」
「梁川ざっと昔話の会」
などといったものも。
全国どの地域にももちろん語り部っているけど、
一冊のガイドブックになるのは今、福島だけなのでは。
もはや単なる震災復興ではない、
福島県はもっと深いものへと変わろうとしているのを実感する。
他にもいくつかもらってきたパンフレットを帰りの丸ノ内線で拾い読みしてみる。
浜通りのいわき市は「いわき復興応援ツアー」や
「平成26年 復興・防災プログラム事業 スタディツアー」を開催している。
元々観会地だった西側の会津は女性向けに「恋する会津」
震災のことは触れない。他県の観光地のようなきれいなパンフレット。
観光で生きるなら、明るく振る舞って裏側は見せないのが無難か。
(それで言うと、FREEのるるぶ福島は「スイーツめぐりの旅」)
福島県の広さを知る。会津はどちらかと言えば受け入れ先か。
北関東と接している地域に住む人たちは一括りに福島県とされることに対し
複雑な気持ちを抱いているのではないか。
素人が地図を見た上での単純な距離で言えば
北西部の喜多方市よりも山形県米沢市の方が
福島第一原発のあった大熊町に近いように見える。
相馬市と南相馬市のパンフレットがあった。
飯舘村、浪江町、大熊町、双葉町のパンフレットはない。
先の「おもてなし案内人ガイドブック」の地図にも
帰還困難区域として色分けされていた。
相馬市のパンフレットは震災のことについて触れず、
南相馬市は冒頭で「東日本大震災大震災からの経過記録」が冒頭にある。
アクセスにも震災のため通行止めの区間のことが記されている。
それぞれの行政単位での考え方がある。
帰り道、日本橋三越の正面玄関を入ると大きな水槽が。
色とりどりの金魚が泳いでいた。