Nirvana 『Live at Reading』

昨晩、なんとはなしに DVD を見ようとあさっていたら
Nirvana 『Live at Reading』が出てきた。
その名の通り、レディング・フェスに出演した時のもの。
1992年。カート・コバーンが銃で自殺する2年前。
最高のパフォーマンスだったとして伝説になっている。
車椅子に乗って登場したとか、
会場中でコートニー・ラヴへの愛を叫んだとか
いろいろ言われていたのを、ようやく見ることができた。


もちろん演奏も安定している。
ポップと言うと違う。キャチーと言った方がいいか。
耳にこびりついて離れない妙に存在感のある歌。
理論的にどうこう言うことのできない、天才的なソングライティング。
ライヴで剥きだしになった分、ダイレクトに響いた。
メジャーで大ヒットした『Nevermind』よりも
インディーで出した『Bleach』の方が重要だという人の言い分がなんとなくわかった。


(前にも書いたことがあると思う)
アメリカのある世代以上の人は
ジョン・F・ケネディが亡くなったと聞いたときに自分がどうしていたか
今でもよく覚えているのだという。
僕らの世代だとカート・コバーンか。
自分たちの声を代弁してくれる人が若くして亡くなった。
僕らが心の中に抱え込んでいた鬱屈した何かを一身に引き受けて
とうとう墓場まで持っていってしまった。
そんな感じがあった。


僕らは映画の撮影で車でどこかに向かう途中だった。
それまでたわいのないことを話していたのが、ふとした弾みに
「昨日ニュースでやってたけど、カート・コバーンが死んだんだって」
と誰かが言い出して、車の中がシンと静まり返った。
「そうか…」と一人一人、胸に問いかけるような。
奇行が目立っていたということは皆、Rockin'on か Cross Beat を読んで知っていた。
いつか何かしでかすだろう、長生きはしないだろうと皆薄々勘付いていた。
その通りになった。
ロックの殉教者として、華々しく死んだ。
ひとつの時代が終わった。
メンバーが集まらないことには始まらない肉体的なロックバンドよりも
一人部屋に籠って演奏する宅録ミュージシャンが増えた。
ロックのために死ぬということがなくなった。


終わりの方に差し掛かる。
そういえば左利きだったんだよなとか
ああやっぱ最後はドラムセットを壊すんだとか
とりとめのないことを思いながら見ていた。
エンドロールが流れて、心にぽっかりと穴が開いたように思った。
正確には、あの頃の穴が開いた気持ちを思い出した。
もう20年以上になるのか。
あれからロックは1mmたりとも進んでないのかもしれない。