エチュード

「煙草いい?」
「え、あ、どうぞ。…あー、この時間帯もけっこう車走ってるものなんですね。
 トラックとか。コンビニとか宅配の荷物運んでんでしょうね。
 僕らが普段眠ってる間に」
(後部座席に座る女は無言で前方を見つめている。サングラス。煙草に火をつける)
「日本全国を車で旅しててこういう時間に走って、昼間は寝てる。
 そんな人もいるかもしれない。そういうの憧れるんですよね。
 会社に行かず、ずっと旅してるだけの人。いるじゃないですか。
 ああいう人たちってどうやって食ってるんでしょうね?」
「黙っててくれない」
「あ、はい、すいません」
(男はしばらく運転を続ける。女は煙草の煙を吐き出す。
 男は手元を見ることなく空調のスイッチを入れる)
「その先で首都高に入って」
「はい」
(男はカーナビの縮尺を変える。しばらく無言で走る)
(独り言のように)「空が明けてきた」
「そうね」(思いがけなく女が反応する。しかし会話を続ける気はなさそうだ)
(男はまたしばらく無言で走る)
「ラジオつけていいですか?」
「余計なおしゃべりのない、クラシックだったら」
(男はまた手元を見ることなくカーナビを操作する。一瞬チラッと見る)
NHK」(と呟くが、NHKはニュースだった。天気予報が聞こえる。東京はこれから雨)
「ニュースでもいいですか?」
(女は苛立ったように煙草を消す。携帯用の灰皿らしいがよく見えない)
「いや、あ、消しますね」
(男は操作する。車内が静かになる)
(またしばらく走り続ける。
 行き先が事前に伝えられているのか、中央環状線のトンネルに入る。
 暗くなる。一定の間隔で続く明かりが車内に差し込む)
(男がちらちらとルームミラーを覗き込む。女は足を組んでいる)
「こういうトンネルの中を走っていると、堂々巡りで同じとこ回ってるような気がしますね。
 永遠に辿りつかないような」
(女は反応しない)
「ねえ、運んでるもの何なんですか?」
(女のサングラスがピクッと動く。
 反応するつもりはなかったのにわずかに反応した、というような)
「聞くなって、言わなかったっけ?」
「そうですけど。少しぐらい。ヒントぐらいいいかなって」
「聞くなって、言わなかったっけ?」
「僕の身にどれだけの危険が」
(遮って)「これで三回目よ。だったら、報酬につられたあなたがいけないのよ。
 あなたが何をしたのか、誰なのか私は知らない。
 家のローンがあるのにギャンブルにはまって奥さんが倒れて、
 だけど娘が私立に受験だとか親の介護が、とか、
 多かれ少なかれそんなとこでしょ?
 それぐらいのことなら黙って働いて黙って返していけばいいのよ。
 あなたのようなカモのことなんて私たちは何とも思っていない。
 ただ、いわれたその場所に時間通りに辿りつけるかどうか。
 いい? 黙って働いて」
「まさか爆発物とか」
「いい? 私だって指示に従って黙って働いてるだけなのよ?
 それが何なのかは知らないし、知りたくもない。
 知ったところで何がどうなるって? 余計な不安が増えるだけじゃないの。
 これだから素人は。あなたは今回だけね」
「男はしばらく無言で運転する)
「あ、あの次のサービスエリアで止まっていいですか。トイレ、行きたくて」
「だめよ。このまま続けて」