一週間ぶりの丸一日休み。
朝起きてジョギング。公園にジャージ姿の中学生が大勢いた。
スポーツのイベントなのか、ゴミ拾いなのか。先生に引率されている。
何をするでもなくもやもやと集まっていたり、たらたらと歩いていた。
何度かそういう集団の間を走った。
2年生ぐらいか。13歳か14歳。
男子女子限らず、気づいている、気づいていないというか、
大人の世界に足を踏み入れた子、子どもの世界にまだ居残っている子がいるもので。
一目見てはっきりと分かれる。まとってる空気が違う。
急に広がった大人の世界に戸惑って一人ポツンと俯いているような。
この頃には自分が何者であるかが分かって、何者でないかが分かる。
自分が社会的に、性別的に、様々な関係性の中で位置づけられていることを知る。
単なる生物、生命ではなくなる。
正しいこと、良いことはなんだかかっこわるく、
悪いこと、良くないことがなんだか怪しげな魅力を放っていることを知る。
大人たちの本音と建前が見えてきて、
口では前者を当然としつつ、裏では後者に惹かれているということに気づく。
その間に割り切れないものがあることを学ぶ。
急にこの世界の見方のひとつが分かって、
そこに自分も組み入れられていることを知って、混乱している。
大人になるとはそういうことだと思う。
その境目にいる子どもたちというのは脆くて、危うくて、
独特な匂いを放っている。蛹が羽化するかのような。
なんかその一方で。
グラウンドの方に走っていくと、
野球場のひとつで同じぐらいの女子中学生のソフトボールの試合。
ピッチャーが投げた球がかなり速い。たぶん僕は打てない。
ゴロを打ってもキビキビ取って投げてアウト。
大人になるというのはチームプレイのスポーツができるようになること
なのかもしれないとまた別の次元で思う。
ルールがあって、ロールがあって、ツールがあって、
その連関の中で振る舞いを自然に決められること。
…と言いつつも。
ピッチャーの投げた剛速球には社会だの性別だの言わせない、
ピュアな生命力があった。
大人かどうかなんて、僕のようなオッサンがとやかく言うことではない。
14歳のひと時なんてほんの一瞬なのだから、明るく生きてほしいとは思う。