遠い声、遠い空

雨に濡れたまま自転車に乗って走っているときの
無力感ともうどうでもいい感。
全身ずぶぬれで服が貼りついていて、
ジーパンは固くなっているし、Tシャツの袖からも滴り落ちている。
靴下もびしょびしょでスニーカーの中もじゃぶじゃぶで。
カゴの中の、あるいは背中に斜めにかけた鞄がどうなってるか考えるとゾッとする。
本が濡れて染みが広がっている。
財布の中のお札も後で広げて乾かさないといけない。
交差点で信号は赤。もどかしい。どんな罪でどんな罰なんだ?
猫背になってハンドルを握る。ブレーキが冷えている。
髪の先から目元まで雨水が伝う。
前を向くことができなくて俯いて、だけど上目遣いになる。
勢いよく通り過ぎるトラックが水たまりに踏み込んで泥水が跳ねかかる。
よけている暇もない。
また次の車が。助手席の女が煙草を吸いながらスマホをいじっている。
なんで雨が降りだしたのだろう。
なんで自転車なんかに乗ってしまったのだろう。
いや、他に選択肢はあったのか?
あとどれだけの距離なのか。どれだけの時間がかかるのか。
誰が待っているわけでもない。誰もこのことを知らない。
背中に汗をかいてむしろ体は熱い。肩で荒く息をする。
灰色になったブヨブヨした雲がどこまでも続く。
本降り手前の細い雨はこちらに向かって斜めに降っている。
それ以上強くもならないし、弱くもならない。
時間が止まっている。世界はここで切り離されている。
この雨が明けたら夏になるのだ、ということを思う。
黄色いレインコートを着た男の子が傘をかぶった母親に手を握られて向かい側で待っている。
信号が点滅する。何かを楽しそうに話している。
あともう少ししたらペダルを漕いで走り出す。横断歩道を渡る。
道はわかっている。右へ。しばらく歩道を行く。
こんなふうにして濡れながら自転車に乗っている女の子が今、どれだけいるだろう。
すぐ近くにいたと向こうからやってきたとしても、すれ違うとき雨の中で声を交わすことはない。
それは晴れていて自転車に乗っていなくても同じ。
信号が青になってペダルに力を入れる。
だけど空回りしてバランスを崩す。またすぐに走り出す。
黄色いレインコートを着た男の子もその母親もこちらを見ることもなく、通り過ぎてゆく。
雨の音、車の音、自分の音だけが聞こえない。
いい加減な舗装ででこぼこになった横断歩道。
曲がって次の道路。またその次の道路。
降り続く雨。自転車が軋む。
何も考えないようにしてペダルを踏み続ける。