弁当の思い出

 
本来この日は会社の人たちと BBQ であった。
しかし台風6号が上陸、関東地方は大雨という予報もあって
昨日の朝、幹事を引き受けてくれた後輩とやりとりして
キャンセル料のかからないうちに中止することにした。
昨晩3時か4時か突如大雨となるもすぐにまたやんで、今朝目を覚ますと快晴。
絶好の BBQ日和。しかしキャンセルしてしまったのはしょうがない。
午前中、みみたを動物病院へ。
台風が近づいている関係でいつもよりも混んでいる。
待合室で外を眺めていたら急に雲行きが怪しくなって雨が降り出した。風も強くなってきた。
やはり中止にしてよかったのか。
 
みみたの血液検査の結果はさほどよくならず。引き続き様子見となる。
帰ってきて、昼を食べに行く。近くがいいと味の民芸へ。
手羽先と串カツを頼んで瓶ビール。昼間から飲むのが気持ちいい。
土用の丑の日ということもあって鰻を頼んでいる人も周りにはいた。
 
飲みながらあれこれ話していたら何かをきっかけに給食の話になった。
小学校は給食だったけど中学校は弁当だったと話すと、
公立なのに? と驚かれた。妻のところでは中学校も給食だったという。
自治体ごとの給食センターにかける予算の違いなのだろうか。
 
全員が全員弁当を持ってくることはできない。
朝のうちに注文用紙に記入しておくと
地元のパン屋のつくった弁当が昼に届くことになっていた。
焼肉弁当と唐揚弁当ともうひとつぐらい種類があった。
薄べったい容器にゴマのかかったごはんとおかずと、昆布の佃煮が入っているだけの簡単なもの。
280円だったか、380円だったか。
 
毎日母の作る弁当だった僕はこの注文弁当に憧れていた。
ほぼ毎日のようにこの弁当を注文していたクラスメイトもいて、
たまに買ってきたパンをスーパーの袋ごと持ってきていて、
あの頃の僕はうらやましく思っていた。
僕があまりにも母に食べたい食べたいいうので、
あるとき母がお金を渡して弁当を注文していいということになった。
昼まで待てずワクワクしながら過ごした。
何組いくつと弁当が届く(誰にどう払ったのかは覚えていない)。
値段が値段なのだからたいしたことはないだろう。
しかしもはやうまいもまずいもなかった。
その弁当を食べる僕はクラスの中である種の特権階級にいるかのような気さえしていた。
 
何とはなしに思い出したこと。
あの頃毎日弁当を注文していた何人かの顔を思い浮かべる。
皆どこでどうしているのだろう。
どんな職に就いているのだろう。青森は出ただろうか。
東京は今日、真夏の暑さ。
もう30年以上前のこと。