弁当というもの

昨晩『サラメシ』を見ていたら、
年配の消防隊員の方が中学生以来50年間同じ弁当箱を使っているとあった。
あの当時だとアルマイトだろうか。
すり減って鈍い色になった、
箸を長年蓋の同じ場所に添えたなどでところどころ形のゆがんでしまった、
相当年季の入った弁当箱。
祖母、母、奥さんと三代がその弁当箱にご飯とおかずを詰めてきたのだという。
 
弁当箱は新聞紙に包まれている。
汁物が漏れるからと本人は言ってたけど、
取材チームが年老いた母に聞くと
「新聞紙を外すときに少しは活字を読んでくれるかと思って」
そんな母の思いがあった。
 
奥さんにも聞く。
弁当の中身に注文はないのだという。
その代わりに、「弁当ありがとう」とか「おいしかったよ」とか
言われることもないと。
番組では弁当箱に対してありがとうと言っていた。
ザ・昭和の男。
 
こちらも晩御飯の支度をしながら見ていたので
ところどころ記憶が違っているかもしれないが、
いいもの見たなあと思った。
 
思えば僕も中学、高校と毎日弁当を持たせてもらっていた。
それを当然のことと思っていて、僕もありがとうと言ったことはなかった。
結婚して二人分の弁当を毎晩用意するようになって、
初めてその大変さがわかった。
家事のひとつとしてできる限り時間を掛けず、だけど毎日続けるということ。
それでいて食べ盛りの僕はあれが食べたいこれが嫌だと
注文ばかり言っていたように思う。
 
僕はおおむね健康な中高生だったので朝起きて普通に
弁当を持たせてもらって家を出ていったが、
今日は体調がすぐれずに作れない、でも作らないと、
という日もあったことだろう。
作れないので学食で食べてほしいという日は年に数回ぐらいしかなかった。
 
母は弁当のおかずを全て手作りということはなく、
スーパーの総菜や冷凍食品も取り混ぜながら作っていた。
メインのおかず一品か二品は手作りする。後は昨晩の残りか。
世の中のお母さんの多くがそうしていただろう。
 
一番好きなのは、今もそうだけど、カツ丼の日で。
弁当箱にドンと、カツ丼だけ。
もちろん母がトンカツを揚げることはない。
前の日スーパーで買ってきて、玉ねぎを入れてダシで煮て卵でとじるだけ。
それだけのものだったけど、おいしかったなあ。
丈夫なパッキンの弁当箱のはずがどこか汁漏れしていて、
カツ丼の日は包んでいた風呂敷に染みができた。
というかその染みだらけの風呂敷をリュックサックに詰めて
通った高校三年間だったなあ。
もちろん洗濯してその染みが極力目立たないようにしていたけど。
 
あれをまた食べたいなあと思う。
母は笑って、いやだと言うだろうけど。