人のために働くということ

カーネル・サンダース 65歳から世界的企業を興した伝説の男』(藤本隆一著)を
昨日から読み始めて終わりの方まで来た。
 
言わずと知れたケンタッキー・フライドチキンの創業者。
60歳を過ぎてから立ち上げたとはなんとなく知っていたが……
壮絶な人生だった。
30歳までの間に農場、鉄道、弁護士、保険の外交員など様々な職について長続きできず。
ようやく自分の経営するガソリンスタンドを持つも大恐慌で手放し、
その後ガソリンスタンドに併設させたレストランが
国道に面した最高のロケーションということもあって評判を呼んで独立した店とするが火事で失う。
レストランをやり直すも、新しくつくられたハイウェイが全然別なところを通って客が激減。
60歳を過ぎてこの店を売却。
しかし、自慢のフライドチキンのレシピをフランチャイズ化することを思いつき、
やがてはアメリカのファーストフードの父となる。
それが地球の裏側では阪神が優勝したとき、道頓堀に投げ込まれるまでになる。
 
ケンタッキー・フライドチキンの成功はこの門外不出のスパイスにあるのではなく、
ましてフランチャイズの仕組みでもなく、
カーネル・サンダースが徹底して人を喜ばせる、人のために尽くす、社会に貢献する、
そのためにいくらでも身を粉にして働くという姿勢にあったのだな、ということがよくわかる。
(契約したどの店にも同じ調理器具、その配置、レシピ、衛生基準を守らせて
 自分と全く同じフライドチキンを提供したいという完璧主義者の側面もまた大きいだろう)
 
この、人のために働くということができない。
接客業の人だとまた別だろうけど、
この「人のために働く」ことのできているサラリーマンって日本にどれぐらいいるだろう。
胸を張って言える人はそんなにいないと思う。
では「自分のために働いている」という人はどれぐらいになるのか。
金のため、生活のためということならば自分のためと言えるが、そこを抜きにして
自己の成長や目的の実現のために働いているとはっきり言える人。半分もいないのではないか。
そもそも僕自身がそうだ。金のために嫌々、惰性で仕事をしている。
 
なぜこんなことになるのか。
日本の人口が多くなり過ぎたからか。インターネットが普及したからか。
それでもそこそこいい暮らしをしているから変化する必要がないのか。
20世紀の前半から後半にかけて価値観というものが大きく変わったからか。
分業化が進みすぎて仕事の性質が変わったからか。
 
金のためよりも自分のため、自分のためよりも社会のために働いたほうが視野が広がっていい。
閉じれば閉じるほど悪循環で行き詰まっていく。
それがわかっていてもできない。
僕自身考え方を変えるためのきっかけを見いだせない。
どうやって抜け出せばいいのかわからない。
「めんどくさい、今のままでいいじゃん」という気持ちが僕の頭の全面を覆っている。
いつのまにこんな大人になったんだろう。