人生の経年劣化

特に家事をするときにそうなのだが、
何かをするときに手元を見ないということで妻にきちんとするように言われることがよくある。
例えば冷蔵庫にプラスチックの箱に入った野菜をしまうとき、
ちゃんと両側から圧着して密閉しなければいけないのに中途半端なまま放り込んで
次の日その野菜がしなっとなっている。
きちんと閉めたかどうか確認しない。
 
それが閉まったかどうかそのものではなく、自分は閉めるという行為をしたというだけで満足してしまう。
洗い物も一緒で、汚れが落ちたか残ってないかではなく、
自分は洗いものという行為をした、スポンジと洗剤を使って手を動かした、以上終わり。
なので冷蔵庫のドアも閉まってないことが多い。3回に1回ぐらい開きっぱなし。
無意識のうちにやることはたいがいそう。
 
世の中の家事を手伝う男性の多くがそうなんじゃないかと思う。
手伝ったかどうかが大事で、結果そのものはあまり重要ではない。
かつ、洗い方が雑で汚れが多少残ったままとなってもあまり気にしない。
丁寧に時間をかけてやろうという気持ちになることは、よほど余裕のある時ぐらい。
手伝うではなく、分担しているのだと捉え直したところで雑は雑。
三つ子の魂百までも。
夫が家事と称して食い散らかしているのを拾ってちゃんとしているのはいつも妻ということになる。
 
結局、自分の見たいところしか見ないんですよね。
興味のわかないところは見ない。
それが許されるのはなんと贅沢なことか。
 
僕はそれが特にひどいので、妻には車の運転はやめた方がいいと何度も言われた。
結婚後ペーパードライバー教習も受けてしばらく運転を再開してみたが、危険すぎると。
その余裕がないというのもあるけど、とにかく周りの標識を見ない。
サイドミラーで後ろから来る車を見たりもしない。
前しか見ない。よくこれで事故を起こさなかったな、と今でもゾッとする。
 
四捨五入するとアラフィフの領域となり、
気を付けるということがめんどくさくなっている。
小さい頃からそれほど注意深くはなかったと思う。
だけど頭の良さでカバーしていた。
しかし今は頭を使うということが億劫になってしまっている。
気が付くとボケーっと停止している。
 
人生の経年劣化がはなはだしい。
しかもそこに危機感を感じない。
これが老化か……、なんて他人事のように思ってしまう。
これではいけないと頭の片隅では思いつつ、今日も惰性で一日を過ごしてしまう。