焼肉の日

今日は焼肉の日であるという。
外で食べるのもいいが、家でホットプレートで焼くのもいいか。
 
焼肉はカレーライスと並んで
家の中で食べるのと外で食べるのとで全く違う食べものになる両巨頭だと思う。
 
今までたいして気にしてこなかったが、家で食べるときは
ホットプレートなどで焼いてからエバラなどのタレをつけて食べる。
青森県民だともちろん、スタミナ源たれ
焼肉屋で食べるときはカルビであれロースであれ既にタレに着けてあるものを焼く。
この違いって何だろうか。
両者は別物と考えた方がいいのだろうか。
名前がシンプルに「焼肉」となっているので
肉を焼く以上どちらも当てはまっている、というだけのことなのかもしれない。
だからと言って手羽先を焼いたのを焼肉とは呼ばない。
 
焼肉というと思い出すのは中上健次『岬』であって、
冒頭、父の組に入って土方をしている主人公は
組の人たちと昼、外に鉄板を出して肉を焼いて食べる。
母か誰かが中から肉を運んでくる。大量に運んでくる。それを食べる。
肉としか書かれていない。
安い豚肉を大量になのか、関西だから牛肉なのか、薄いのか厚いのか何もわからない。
その土地、その時代を知る人ならばイメージがつくのだろうか。
 
ただ「肉」とだけあるところに生々しさを感じる。
牛だの豚だのといった区別も、部位がどこかといったことも意味がない。
目の前にあるものを食べて腹を満たせればそれでいい。
そんな生き方。
そこにはより強い生き物が弱い生き物の肉を食べるというニュアンスもあるのだろう。
 
焼肉って世界最古の料理、調理法なんじゃないか。
どこかで読んだように思う。
それまで生の肉を食べていたのが、火に炙って食べることを思いつく。
油が落ちて香ばしい。
塩などの味付けをするのはもっと後のことだろう。
 
自分の中に眠っている原始人の頃からの DNA を揺さぶるのか。
だから人は焼肉というものが好きなのか。