青函トンネルのこと

昨晩、食事時にNHK-BSで『世界ふれあい街歩き』を見て
そのままにしていたら『プロジェクトX』の再放送となった。
それが青函トンネルを掘った男たち、というテーマで思わず見入ってしまった。
四半世紀に及ぶ大工事。
相次ぐ落盤事故で坑内が水浸しとなり、工員たちが亡くなっていく。
開通の日、ダイナマイトで爆破して函館側・竜飛側がつながったとき、
同僚たちの遺影を胸に抱いて向こう側に渡る男もいた。
 
1961年着工、貫通は1985年。
僕が物心ついたときからずっと青函トンネルは掘られ続けていた。
永遠に続くかのようだった。
掘り進む先は対岸の渡島半島ではなく、どこか別の世界のようだった。
時折夜のローカルニュースで状況が伝えられていたと思う。
泥だらけの男たちが無言で薄暗い坑道をトロッコで行き来する。
桜の季節になったとか初雪が降ったというニュースとは無関係に
安全点検がどうとか、坑内設備がどうとかいう淡々とした話題だった。
○○君のお父さんは単身赴任でトンネルを掘っている、
そんなクラスメイトもいたかもしれない。
 
開通の日のことは忘れられない。
青森市がオリンピックの開催都市に決まったかのような大騒ぎだった。
トンネルの中では誰彼構わず日本酒を酌み交わしていた。
日本シリーズで優勝してビールを掛け合っているかのよう。
全国ニュースでも繰り返し繰り返し爆破の場面が流れた。
青森が偉業を成し遂げたようで、子供心にも誇らしかった。
 
今も心残りなのは
JRが津軽海峡線の運行を始める前に
青函トンネルを青森側から北海道側まで歩いて渡る
青函トンネルウォーク」という1回限りのイベントが開催されたのに
それに申し込まなかったこと。
調べてみると1987年の7月末、夏休み。僕は中学一年生か。
新聞記事を読んだ母からせっかくの記念だし申し込むかと聞かれて、
トンネルを歩くだけなんて退屈そう、疲れそうと尻込みしてしまった。
その価値がわかっていなかった。
今、どれだけお金を積んでも同じ体験はできない。
(その後もJR北海道の企画した「青函トンネルウォーク」はあったみたいだけど)
 
思い出したこと。
青函トンネルを掘っていた前後、津軽海峡線の開通前、
津軽今別駅近くの飯場で叔母が住み込みで働いていたことがあった。
工事現場で働いている男性たちに食事を提供する。
津軽海峡線津軽海峡線で利用するトンネルのひとつを
掘るか整備する仕事だったように思う。
近くでは「世紀の大事業」と賞賛されていた青函トンネルの工事があった中で
規模の全然違うトンネル工事に携わるってどんな気持ちだったんだろう。
僕だったら青函トンネルの方がいいと思ってしまうのは
その危険性を何も知らない素人だからか。
働く側からすれば給料がよければどこでもよいのか。
 
工事が終わって飯場が畳まれ、叔母が帰ってきたときに
工員たちが休憩時間に使っていたグローブを僕はもらった。