青森帰省2日目

昨晩は『羆撃ち』の続きを読んで23時には寝た。
(羆は「ひぐま」と打ったら出た)


午前中法事ということもあって7時に起こされる。
予想されていた通り大雪。20cmぐらいにはなっているか。
朝食後雪かき。湿り気を帯びてずっしりと重い。
周りの家の人たちも雪かきをしている。


妹夫婦が車で迎えに来るまでの間、『羆打ち』を読み終える。
猟犬フチと熊猟のため山で過ごした日々のことが胸に迫る。
人と自然の向き合い方としてこれ以上に美しいものはないだろう。
薦められて読んだのであるが、これは僕も薦める。
ここまで誠実な文章はなかなかない。
もう少し時間があって
交通新聞社新書の『青函トンネル物語』を読み始める。


本町のお寺さんへ。どこもかしこも大雪。
港の側を走る。鉛色の海が荒れている。
津軽海峡フェリーも防火水槽のタンクもモコモコした雪が
びっしりとフジツボのように張りついている。
市街地に入る。急なことで早朝の除雪車が入らなかったようで、
道路の雪がそのままになっている。
本町ではせめて自分の店の前を片付けようとする人たち。
昨月の東京の大雪を思い出す。


お寺の中へ。駐車場も雪を寄せたり車が入ってきたりと忙しい。
お彼岸ということもあって本堂にはお膳が位牌と共に並べられている。
この一週間毎日備えるのだろう。本名か戒名の書かれた紙が添えられている。
人によっては自分たちでそこにお供え物もするようで、
缶コーヒーやお菓子が一緒になっていた。
和尚さんが入ってきて、法要が始まる。
今回が三十三回忌。二十三回忌からもう10年になるのか。
3月のこの時期に帰ってくるのも10年ぶりということになる。
あの頃はまだ映画を作っていて、
29歳の自分をテーマとした私小説的な作品を撮っていた。
このお寺でも法要の始まる前に撮影をした。
というか勝手に母や妹、祖母をビデオカメラに収めていた。


お寺を出て港の近くの「Coffee Colors」に入ってコーヒーを飲む。
駐車場では除雪車が雪をダンプに積み込んでいた。
市の黄色ではなくて赤い色に塗られている。民間の業者か。
11時を過ぎて、堤川のほうにある「ごん八」という寿司屋へ。
サッカーの本田選手のサイン入りスニーカーが無造作に下駄箱に飾られていた。
お父さんが昔よく訪れていて、
本田選手も怪我して休んでいたときに来たことがあるのだとか。
新鮮でおいしい寿司だった。
ランチのセットと一品料理を頼む。握りの他に


・ニシンの一夜干(ニンジンの松前漬けが添えられていた)
イワシのマリネを乗せたわかめの寄せもの
・あん肝ポン酢
・根付きにんにく、白魚、ホタルイカの天ぷら
・小タイの白煮(玉子で閉じた寄せキャベツ、柚子コショウ添え)
・ホタテの卵の刺身


このホタテの卵、貝ごと焼いたり煮付けたりするとついてますが、刺身では初めて。
よほど新鮮じゃないとできないですよね。東京では無理? 聞いたことない。
季節もの。卵がプリップリとなる分、この時期貝柱が痩せるという。
赤と白があって、白の方がこってりしていた。


カウンターのテレビでは甲子園初日。
光星学院横浜高校と当たるんだったか。


帰り、フェリー埠頭近くの本屋に寄って行ってもらう。
昨年末の福島の朗読会の件、今年は『智恵子抄』を考えていると先日メールをもらい、
青森にいる間に読もうと思う。探したらあった。
ふと目に留まった津村記久子『ポトスライムの舟』も。
来月ゴールデンウィークにまた来て弘前城の桜を見ることになっていて
『街あるきガイド ひろさき』『弘前酔連 vol.2』この2冊を買う。


帰ってきて屋根から落ちてきた雪を片付ける。
13時半、今日もまた早いうちに温泉銭湯に入りに行く。
しかし土日ということもあってちらほらと入れ代わり立ち代わり先客がいた。


戻ってきて『青函トンネル物語』の続きを読む。
昭和29年の洞爺丸台風を受けて昭和39年いきなり掘り始めるのではなく、
戦後すぐから海底のボーリングであるとか地質の調査を地道に積み重ねて
掘り進めてよいかどうか入念な検討の末にようやくゴーが出たことを知る。


夜は母のカレー。
今晩中に『青函トンネル物語』を読み終えるか。