歩道橋というもの

知らない町を歩いているとき、
大通りに差し掛かって歩道橋があると上ってみたくなる。
向かい側に渡りたいかどうかに関係なく。
 
少し高いところから町を見下ろすのがいい。
わずかばかり遠くが見通せるのがいい。
右側を流れる車がこっちに向かってきて足元で消える。
逆に左側の車は吐き出されるように遠ざかっていく。
あーバスが来たな、とか。
原チャリがすり抜けていくな、とか。
そんな車の行き交いを何とはなしに眺めるのもいい。
 
通りのこちら側と向こう側をつなぐ一本道の歩道橋もいいが、
交差点の四方を取り囲むロの字型の歩道橋もいい。
分岐点に差し掛かった時、まっすぐ行くか曲がるかに一瞬迷う。
景色が少し変わる。
今回はこっちに行くかと決める。
しかし、旅先で出会った歩道橋だと
別のそっちをいつか行くことがあるかかどうかはわからず。
その機会があったとしても歩道橋を上ったことは忘れているかもしれない。
 
桜の季節、満開の枝の近い歩道橋というのもいい。
家の近くだと光ヶ丘公園の入り口にある。
厳密に言えば歩道橋ではなく、
道路の上に橋が架かって高所の2点を結んでいるだけなんだけど。
中央分離帯に桜の木が伸びていて
満開の花をすぐ目の前に見ることができる。
ここで多くの人が立ち止まって写真を撮っている。
花だけを撮る人。背景にして撮る若い親子連れやカップルたち。
 
お年寄りが一段一段、噛み締めるように
ゆっくりゆっくり上っていくのもいい。
反対向きに折れ曲がるところに差し掛かって一息つくのもいい。
手伝うべきなんだろうか。
いや、そこまで大変そうじゃないよな。
そんなことを思いながら僕はそっと後ろから追い越していく。
反対端に渡った時にふと振り向くと、
そのお年寄りがてっぺんまで来て腰を伸ばしながら
ふーと景色を眺めているのがいい。
 
住み慣れた町で新しくできた歩道橋に出会うことはないけど、
古くなってある日突然消える歩道橋というものもない。
いつも当たり前のようにそこにある。
 
夕暮れ時、消えゆく夕焼けを眺めるのもいい。
星空に月を探すのもいい。
真夜中、コンビニに行こうとして立ち止まり、ぼんやりと車の列を眺める。
明け方、ひと気のない町を見下ろすのもいい。
遠く向こうを見つめる。
歩道橋の上だと、一日の始まりや終わりが
手の届きそうな近くにあるような気がする。