震災から11年

NHHKのあさイチを見ていて
明日、東日本大震災から11年だということを知る。
 
毎年被災地を訪れているという若者が三陸鉄道に乗っていた。
石巻の焼きそば屋を紹介していた。
老年に差し掛かった夫婦が営んでいた。
その日も二人で店に立っていた。
おじさんは生き残り、おばさんは波にのまれてしまった。
その遺体はまだ見つかっていない。
ふとしたときに、帰ってくるんじゃないかと今でも思うと語る。
 
妻がいるかもしれない助けたいと
津波から数日後、がれきの山と化した店先を掘り起こしていたら
鉄板の上で使うへらがふたつ揃って出てきた。
娘は父親に、店をまた始めようと言った。
そういう話だった。
 
ああ、この僕も人に言われなければ
東日本大震災のことを思い出すこともなくなってしまった。
何かの記事で、今、東日本大震災は視聴率が取れない、
かといって触れないわけにはいかないと
テレビ局も悩んでいる、というのを読んだ。
 
縁あって僕が被災地を訪れたのは震災から3年してからだった。
北上に2泊して鉄道に乗って気仙沼へ。バスで陸前高田へ。
その翌年、郡山在住の方の運転で1日目は原発から10km地点まで、
2日目は南会津の山々を回った。
 
その後どうなったか。
時々思い出して気になるけど、再訪する勇気がない。
どちらのエリアも復興が進んでいるだろう。
そのことではない。
あれから数年、自分の中で全てが風化してしまっているのを
認めることになるのが怖い。
自分という人間が何も変わっていない、何もしていない、というのを
認めることになるのが怖い。
 
あの後、熊本の地震を始めとして日本各地で様々な震災があった。
集中豪雨による土砂崩れの被害や台風の被害は毎年のように
その時点では思いがけない場所で発生した。
何が起きてもおかしくはないのに、
何も変わっていない、何もしていない自分がいる。