井戸というもの

NHKの番組『いいいじゅー!!』で思い出し、
11月10日は移住の日なんじゃないか? と思ったら違った。
エレベーターの日やトイレの日、井戸の日なのだという。
トイレ、井戸は「ト」の字のごろ合わせなのだろう。
エレベーター? と思って見てみると日本で初めて浅草に…… とのこと。
 
井戸というもの。
生活で身近に使っていた井戸を見たことがない。たまたまかな。
津軽半島の山奥にある祖父母の家にもなかった。
普通に水が湧いていた。
裏庭に鯉が泳ぐ池があって、水が流れていた。
台所の外にも道路に向かって流れる小さな水路をつくってあって、
絶えず水が出ていて夏はそこで西瓜を冷やしていた。
でも今思うと、何もしなくても水が出てくるなんてことはなくて
ポンプでくみ上げて制御していたのだろう。
年に一度池の掃除をするときは水を止めていた。
 
何にしても青森県や東北地方は井戸が少ない?
生活に井戸があるイメージがない。
関東から西のもの?
 
練馬区に住んでいるので散歩していると
昔は大きな農家だったんだろうな、という家を見かける。
その庭先に使われていない井戸らしきものがあったりする。
 
身の回りに井戸のある暮らしだったら、
子供の頃は落ちたら怖い、近づいたら怒られる、という存在だっただろう。
そうじゃなかったので、井戸というのはファンタジーの対象だった。
ハシゴをかけて下りていくとそこは実は地下トンネルとつながっていて、
壮大な闇の王国が広がっている、というような。
生活用水がどうこうという観点と全く関係なく、
冒険の入り口として「庭に井戸が欲しい」などと夢想したものだ。
 
ここ数年、怪談本ばかり読んでいると
井戸というのは不用意に埋めると祟りの起きるもので……
水の神様である龍神様が住んでいて、という。
干ばつの時など、井戸のあるなしというのは
それで生死の境目にもなっただろうから、とてつもなく大事なものだった。
もしかしたら寝泊まりする家屋よりも重要だった。
井戸が涸れるとなったら一大事だった。
うかつに粗末にできず、やはり井戸が身近になくてよかったと
大人になった今は思う。