20日の夜、いかりや長介死去のニュースを知る。
「え!?」と思う。
昨年春にガンで入院、その後しばらくしてから復帰したとは知っていたが。
小学校の昼休みにヒゲダンスをやっていたような子供ではなかったものの、
やはり僕もドリフ世代なのであって。
土曜の夜は「8時だヨ!全員集合」が当たり前。
中学生になってからはその時間「カトちゃんケンちゃん ごきげんテレビ」を見て、
昼間は「ドリフの大爆笑」か「志村けんのバカ殿様」の再放送。
僕らの世代には普段表には出さなくとも
心にドリフをそっと隠している男たちがいるものであるが、
僕にもまたそういう部分がある。
いつでも見れると思って「踊る大操作線」って
ドラマも映画も見たこと無いのがここにきてちょっと悔やまれる。
青森に帰ったときに母の見ているテレビをなんとなく一緒に見ていたら
火曜サスペンスの再放送で、仏頂面のいかりや長介が出ていたってことが何度かあった。
最初のうちは「オイ〜〜ッス」や「ダメだこりゃ」のイメージがあって
「なーんかなあ」と違和感を感じていたものであるが、
そのうち自然に受け入れるようになっていた。
東京に来てからは見たことなかったけど、
高校時代は「雷様」がとても好きだったなあ。
あのしょうもない場末の雰囲気。
いろんなものが吹きだまってて笑うに笑えない。それがかえって笑える。
あそこから大人の笑いというものを青森の片田舎にいたオカムラ少年は学んだように思う。
「全員集合」の停電になった回もリアルタイムで見てたんだよなあ。
今思うと全国回って生放送でコントやるってすごいことだよなあ。
・・・とりとめの無い追想がいくらでも出てくる。
ネタが尽きない。
※いかりや長介には関係ない話なんだけど、
晩年の荒井注は国立市でカラオケボックスの経営をしようと思い立ち、
飲み屋かなんかを買い取って改装したのであるが、入り口が狭すぎてカラオケの機械が入らなかった、
そんな話を学生時代に聞いて大笑いしたことがある。僕的には非常に好きな話。
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「全員集合」が終わって金ちゃんの番組もゴールデンではやらなくなって、
その代わりにビートたけしと吉本が台頭。
そこが日本のお笑いの1つの境目となる。
あの頃の笑いって純然たる娯楽だったなあと思う。
大衆向けの娯楽。大人から子供まで日本全国の人が楽しめるような。
そういう意味では演芸とでも呼ぶべきものだった。古きよき時代の。
(小さい頃だったからそう思えたというのもあるかもしれない)
その後の笑いというものは
知的なものになったりクールだったりラジカルだったり、
場合によってはアカデミックな批評の対象にすらなってしまった。
一方では「面白けりゃなんでもええやん」という立場の芸人もいたりして、
両者の間での揺れ具合のセンスのよさで「面白さ」を計るという
一歩引いて考えてみると不思議な時代になった。
ある種の前提情報をつかんでないと笑えない、
ある種の決まり事を共有してないと笑えない、
そんなのも当たり前になってしまった。
良くも悪くも「分かる人にしか分からなくていい。全然いい」という状況になっている。
20代前後の若い世代に人にしか伝わらないし、そこしかターゲットにしていないというのが
ごく普通の態度になっている。
そこのところ考えるとドリフは偉大だった。
親子3世代テレビの前にいてみんなが笑える娯楽の時間を提供していたんだもんな。
小さな子供が真似をしてそれを祖父が見てさらに笑うという環境が
その当時の日本には存在していて、そこを舞台に夢の時間を生み出していた。
あの時代(高度経済成長からバブルに突入する前)にしか成立しえないものであって
笑いの質として絶対的なものではないことはわかっている。
「個」の時代になってそれぞれの人間がそれぞれの部屋で
それぞれの価値観に基づいてチャンネルを選択する時代には確かにそぐわないものではあり、
今再現させたところでうまくいかないのは目に見えている。
だけどいちいちコードを共有しないとテレビも見れないのは窮屈で疲れるだけなのではないか
と思うことが時々あって、そんなとき少年時代にドリフを見ていたときの思い出が
ノスタルジアとして強く湧き上がってくる。
笑いそのものの味の部分を担っていたのは志村けんであり加藤茶なのかもしれないが、
あの当時の笑いの象徴がいかりや長介なのは間違いない。
日本という国のテレビ放送。
その長くて短い歴史における大事な1コマを僕らは無くしてしまった。
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恐らく「ドリフの大爆笑」が再放送されるだろうから、
久しぶりに「雷様」を見ようと思う。