寮の電話当番

『日本縦断こころ旅』の朝版を見ていたら、
寄せられていたお便りに、
「あの頃は携帯電話というものはなく、
 彼女から寮の電話にかかってくると電話当番に取り次いでもらっていた」
といったようなことが書かれていた。
僕よりも年上の世代の方からだったが、
90年代前半に大学生活を送っていた僕らがたぶんその最後の世代だった。
 
4人部屋の寮には玄関に公衆電話が4台ほど並んでいるだけ。
もちろん家族や友人、恋人がその公衆電話にかけてくることはできない。
玄関の脇に電話当番の部屋があって、
「北棟2階のA」「南棟3階のB」といったブロックごとに
数か月に一度、一週間の電話当番が回ってきた。
終日ということはなくて、17時から21時までといったように時間帯が決まっていた。
 
電話がかかってくると取って、誰を呼び出したいのか聞く。
それが「北棟2階のA」だとわかると、館内放送で電話がかかってきたことを伝える。
これはブロックごとではなく、全館放送だったように思う。
その人は廊下に据え付けられた電話機を取って、
「お願いします」などと聞こえてくると電話番は切替を行う。
 
回線は3本ぐらいあったか。つまり電話機が部屋に3台並んでいる。
通話中はランプがついて、話し終えて受話器を置くと消える。
全部ランプがついて皆長電話していると
外からかけてきても通話中となるので楽だった。
何人かで部屋にいてたわいもないことを話していたり、漫画を読んだり。
コンビニ弁当を食べていたり。
ペナントレースの優勝が決まる試合のときには
ポータブルテレビを持ち込む猛者もいた。
(93年か94年か、シーズン最終戦の巨人・中日戦の勝者が優勝という
 最後の最後までもつれた年があった)
 
ひとつ大事なルールがあった。
館内放送で「お電話です」というと異性からで
(恋人なのかどうかは当番にはわからないことが多いが、
 毎晩決まった時間にかかってくるのでそうなんじゃないかとわかることもある)
「おお電話です」というと家族からということになっていた。
父親や母親はだいたい、当番が電話を取った時に名乗る。
それ以外の同性の友人らしき場合は「電話です」としていた。
 
なので「北2Aの〇〇さん、3番にお電話です」といった呼出になる。
全館放送なので皆が聞いている。
4人部屋でマージャンを売っているときには誰かが代わりに打つ。
「お電話だってよー」と冷やかされながら出たら、
ただ単に名乗らなかった母からでがっかり、なんてことがよくあった。
 
まじめな人はどんな電話であっても淡々と電話番をやってたけど、
少しふざけた人はニヤニヤ・クスクスした口調で「お電話でぇーーす」と行ってみたり。
「夜、親から電話がかかってくることになってるんだけど、
 バイト行っていないからかかってきたらその旨伝えてほしい」
と電話番に言伝する人もいた。
 
電話番の暇なときには部屋の壁に黒のマジックでいたずら書きをよくしてたなあ。
僕もすた丼がどうこうってことを書いた。
この落書きをした××さんは伝説の人で、と先輩から逸話を教えてもらうこともあった。
 
僕らが寮に住んでいた93年、94年がポケベル全盛期で
その後すぐ PHS の時代になった。
だからああいう電話当番も僕らのあと数年で廃止されたんじゃないか。
恋人と熱心にポケベルでやりとりしている男女が
夜はいつも玄関前の公衆電話を占拠している、そんな風景もあったな。
 
いや、そもそも僕らの住んでいた4人部屋の寮は僕らが出て数年後に廃止になって
個室の寮にリニューアルされたんだったか。
確か暗証番号を入力しないと建物内に入れない。
僕らが住んでいた頃は誰でも出入りできて防犯意識がゼロ、
近くのアパートに住んでいる人が勝手にブロックの洗濯機を使っていたり、
そうだ、僕は泥棒に財布を盗まれた。
(見つけた先輩が「出ていけ!」と怒鳴って追い出したが、
 僕の財布を持って、Gジャンを着たままのうのうと出ていった)
トホホなことも多かったけど、おおらかな、いい時代だった。