「荒野の用心棒」「ブラックホーク・ダウン」「ウェルカム・トゥ・サラエボ」

クリント・イーストウッド主演、セルジオ・レオーネ監督、音楽はエンリオ・モリコーネ
完璧な布陣によるマカロニ・ウェスタンの代名詞「荒野の用心棒」
西部劇の雰囲気は好きでも実際に映画を見るとあまりピンとこない僕ではあるが、
これはさすがに面白かった。

マカロニ・ウェスタンって要するにB級。
イタリアで作られてるわけであって、
西部劇の形式を借りたアクション映画でしかない。平たく言えば。
B級であるがゆえに暴力描写のサジ加減なんてどうでもいいし、
いい年した大人が日曜の午後することもなく1人映画館で見て
「ウオーッ」と気分が盛り上がればそれでいい。
低予算で世間からの注目は低く、それゆえに作る側は好き勝手できる。
基本的にどの作品もB級の美学に貫かれていて、
どうしようもないクズか、わかる人にはわかる通好みな逸品が出来上がる。
タランティーノがこのジャンル(オリジナルではなくて)好きなのもよくわかる。


そもそも町にまともな男はいなくて、悪党の一味か撃たれて死んだか。
そういうミもフタもない設定がたまらない。
そんで流れ者がふらりと現れてめっぽう腕が立つ。いきなりバッタバッタなぎ倒す。
爽快なことこのうえない。
それまでアメリカ映画の良心として培われてきた西部劇の魂が完全に骨抜き。
ジャンルとしての形骸化が汚れたゴツゴツとした両手により進められる。
(形骸化ないしは模倣が成されるということは、そのジャンルは成熟したことの合図)


話はちょっと変わる。今更僕が言うことでもないが、
西部劇ってのはどれもこれも同じようでいて、確実に世相を反映している。
ストーリーのパターンと背景/衣装/小道具が一緒でも
根底に流れるものはその時代によって全然異なっている(はず)。
50年代までの西部劇はやはりどこかしら牧歌的であった。
勧善懲悪が揺ぎ無いものとしてあって、善悪の境目はくっきりしていた。
それが60年代から70年代にかけて
「荒野の用心棒」のようなマカロニ・ウェスタン勢力が台頭し
本家アメリカの西部劇は駆逐され、
サム・ペキンパーの「ワイルド・バンチ」のように
そのジャンルの末裔のようでありながら
その属するジャンルに対する批評精神に満ち満ちた作品が生まれる。
そこに残されているのは西部劇の持っていたストーリーの力学だけ。
ベトナム戦争に巻き込まれた社会を反映しているのか
主人公たちは善でも悪でもなくただ己の欲望においてのみ行動しようとし、
人々はみな虫けらのように撃ち殺される。
そんで90年代、先日新宿高島屋の映画館でリバイバル上映していた「許されざる者
クリント・イーストウッドが監督、主演。
ここまで来るともう西部劇というものは
記号論的な解体と再構築という過程を経た、使い尽くされた残骸でしかなかった。
研究者によって復元されました、というような。
そして善悪という区別は重要さを失って
人としてどうなのか?という問いかけのみが大事、そんな雰囲気があった。


ジャンルがジャンルとして力を持っている時代ならば、
ストーリーや登場人物たち、全てがきれいな図式の中に当てはまっていく。
しかしジャンルが成熟期を経てその力を失うならば
そこには様々なノイズが加わるようになり、
いつしか新しい何かが皮を食い破って外に出て行こうとする。


正直なところ僕は50年代より前の西部劇を見ても面白いと思わない。
ジョン・フォードのを見ても今ひとつパッとしない。
大学院時代に映画のゼミを取っていて、
その学期はジョン・フォードがテーマだったのであるが
僕は「すみません、ちっとも面白くありません」と謝ってしまった。
(同様にジャン・ルノワールについてもその良さがちっともわからず・・・)
今ならどうなんだろう。


「続・荒野の用心棒」も見たいのであるが、
あれって「荒野の用心棒」と何の関係もないみたいね。

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ブラックホーク・ダウン


1993年のソマリア。米軍特殊部隊の兵士たちが独裁者の側近を捕獲する任務を受ける。
1時間で終わるはずだった作戦は最新鋭のヘリ「ブラックホーク」の撃墜が元で失敗に終わり、
市街地の中に取り残された兵士たちは暴徒と化した民衆たちと死闘を繰り広げる・・・。


実話なのだそうだ。
戦闘の場面がとんでもなくリアル。
最初と最後の10分間以外はずっと市街戦の模様が途切れることなく続く。
湾岸戦争以後「まるでゲームのように戦争がうんぬんかんぬん」
というフレーズをよく目に(耳に)するようになったが、
そのゲーム感覚をそのまま実写にしたかのような映画。
よくもまあここまで臨場感/緊張感溢れる映像と音響を作り上げたものだと感心させられる。
見てる間、「夢中」になる。


リアルすぎて舌を巻く。
360℃あらゆるものが飛び交っていて、混沌とした状態がずっとずっと果てしなく続く。
映画観た人だとわかると思うけど、実際あんななんだろうな。戦場って。
五感で感じたら全然別なものなんだろうけど、
部屋の中で椅子に座って体験するならばこの作品が最高峰なのではないか?
(あくまで臨場感として。戦争の悲惨さ・空しさとなるとまた別な話)
「RPG」と呼ばれるロケット砲の飛び具合。あれってCGなのだろうか?
テクノロジーの発展ってのは何でも可能にする。
実際にああいうのが建物の間を飛びまわってヘリコプターを墜落させてたんだろうな。
そして映画の中でも寸分たがわぬ状況が再現されて疑似体験できるようになっていて。


階級の差はあれ出てくる全員が無名の一兵士ってのもいいんだろうな。
みんな同じに見える。
特定の主人公を作らず、それぞれの人物が対等に、無機的に扱われる。
エンド・クレジットを見ていたらジョシュ・ハートネット
ユアン・マクレガーの名前を見つけたんだけどどれがそうだったのか僕にはわからなかった。


イラク情勢もあって、今見るのならやはり気になってしまうのだが、
監督リドリー・スコットの真意は何か?
リドリー・スコットってハリウッドを本拠地としているようでいて、実際はイギリス人。
そんな彼がアメリカの軍隊が第三世界で戦闘を繰り広げる映画を
こんな時代に撮るってのはどういう気持ちにおいて成されたことなのだろう?


たぶん答えは簡単なことで、彼はこの映画をあくまで兵士の視点から描き、
一人一人の兵士にとって戦闘行為というものがどういうものなのかが全てだったのだと思う。
最後の方に似たようなセリフが2回出てくる。
「故郷に帰ると、いつも戦いに出かけていておまえは戦争中毒かと聞かれる。
 そんなことはない。そこに仲間がいるから、一緒になって戦おうとするんだ」
「なんで他国の戦争に首を突っ込むのか?英雄気取りだからか?
 答えはノーだ。誰も英雄になることなど望んでいない」


そんなわけで負傷した1人の兵士を助けるために、何人もの兵士が撃たれて死んでいく。


現場の最前線にいる無名の兵隊がそのとき何を感じて何を考えているか。
なぜ戦争が行われるのかという永遠の問いを
この視点から答えようとするのなら、
「仲間がそこにいて戦っているから、自分もそこに行くだけだ」
というのは真理をついているように僕には思われる。
もし日本が自国の中か外で戦争に巻き込まれ
僕も兵士として敵を殺さなくてはならない状態になったのなら、
仲間がそこにいるのだからなんとしてでも自分も前線に踏みとどまろうとするだろうし、
仲間が撃たれたからという理由で敵を憎むようになるだろう。


最前線にいる兵士は何も決められない。自らの生死すら決められない。
どこか安全な場所で政治家たちが何かを決めている。
その「何か」に関して具体的な言葉を聞くことは恐らく、ない。
戦闘行為が日常になってしまったささくれだった五感を頼りに
彼がその場所にいてそのとき感じた痛みが全て。


政治家たちにしてみればそこには何もないのと一緒だし、
どちらが何人死んだという単なる数字でしかないのは当然のことなのだろう。
恐らく、「なぜ戦争が行われるのか」という問いに対する
誰もが納得できる答えは人類の歴史上絶対に出てこない。


ブラックホーク・ダウン」は何かしらの本質をついた映画だと思う。

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ウェルカム・トゥ・サラエボ


ブラックホーク・ダウン」とは全く逆の視点から戦争を捉えた映画。
第3者、戦争行為を取材するジャーナリストの側の映画。


ボスニア内戦を取材するイギリス人記者が
孤児院の取材を続けていくうちに知り合った1人の少女を助けるため
イギリスへと連れ帰ることにした。
少女はその後イギリスで平和に暮らすようになった。
ある日突然、それまで音信普通だった少女の母親が娘を返してほしいと言い出す。
母親の主張ももっともであるが、内戦の続くボスニアに少女を戻すわけにはいかない。
大雑把なストーリーはそんなところ。


ジャーナリストが主人公であるため、本物なのか作り物なのか
銃で撃たれて死んでしまった人たちなど、ニュース映像が随所に挿入される。
それが妙に乾いた質感を持っていて、
「戦争が日常化した町で市民として生きるってのはこういうことなんだろうか」と思う。
目の前の光景の全てが破壊され、絶望的。
なのにそれを受け入れるしかなくてある意味日々が淡々と過ぎていくというか。


インターネットで調べてみると
監督マイケル・ウィンターボトムの政治的感覚や作品の撮り方に関して
批判的な意見をいくつか見つけたけど、
僕としてはこの作品決して間違ってないと思う。
希望が残されているってのはすごくいいことだ。


ロシア語選択だったため他の人たちは接点があったとはいえ東欧のことはよくわからず、
ユーゴの紛争となると事情が入り組みすぎててお手上げ。
背景も経緯もわからなくなってしまった。
現時点では何がどうなっているのだろう?


ボスニア・ヘルツェゴビナをもう何年にも渡って支援し続け、
危険な目にも遭ってきて、それでもまだ今でも人知れず活動を行っている、
そういう日本人もいるのだと思う。