風をあつめて7

女の子は泣き出してしまった。
大きな声を上げてウワンウワンと泣く。
僕はどうしたらいいのかわからなくなる。
僕がその頭や顔に手で触れようとするとはじかれたり、身を反らされたりする。
余計どうしたらいいのかわからなくなる。
「ごめん・・・」と言うしかなくなる。
何回か呟くように「ごめん」と言う。
僕が何をしたって言うのだろう?
名前を言っただけじゃないか?それだけで?
なんだかよくわからないよ・・・。
涙を拭いてあげればいいんだろうけど、困ったことにハンカチを持っていない。
カバンの中からティッシュを取り出す。だけどその顔を拭ってやることができない。
とにかく困って辺りを見渡す。
ナツミちゃん(この名前を心の中で使うのすらためらわれる)と同い年ぐらいの女の子を連れた
若い母親がこちらを見て「あらあら」といった表情でこちらを見る。
立ち止まり、「迷子ですか?」と声をかけてくる。
兄弟や親子には見えないらしい。
僕はとっさに「姪っ子なんです」と答えてしまう。
「泣かせたの?」
「急に泣き出しちゃって」
アメリカ人ならば肩をすくめるところなんだろうけど、
日本人の僕ならば似合わないだろうと思ってやめる。
このときの僕はひどくモジモジしているように見えたに違いない。
「景色のいいところに連れて行くと、気持ちが落ち着くかもしれないわね」
そう言うと親子は立ち去っていった。
なるほどなと僕は思う。
でもこの子の手を無理やり引っ張ろうとしたらもっと強く泣き出すんだろうな。
あーあ。僕は泣いている女の子の傍らにしゃがみこむ。
ちょっとはおさまったかな。
僕はすぐ側の芝生に入って寝っ転がる。両手を頭の下に組んで。
女の子との間にわずかばかりの距離ができる。女の子は少し離れた場所に立っている。
どうにでもなれ、と思う。


僕の気配が消えたことを本能的に察知したのか、女の子が泣き止む。
キョロキョロと見渡して僕を探す。
見当たらなくなってまた泣き出しそうになる。肩を震わせる。
そしてまた泣き出す。地面にペタッとへたりこむ。
僕は起き上がって芝生の上を歩き、背後から近付く。回り込んで前の方から姿を見せる。
ギュッと抱きしめる?
そんなことはもちろんできなくて、ポンポンと左の腕を叩く。
目のところに当てていた両手を放して、僕の方を見上げる。
「・・・」
僕の方も「・・・」となる。
僕はもう一度「ごめん」と言う。思わず口をついて出てきた。
女の子が両腕を力なくだらんと落としてうつむく。まだエックエックと続いている。
僕はティッシュペーパーを1枚取り出してその顔をそっと拭いてやる。
1枚をその子の右手に持たせると、握り締めたまま放さなくなった。
とりあえず僕は彼女の背中を押して、片側が空いていたベンチまで連れて行った。
見るからにさっきまで泣いていた小さな女の子と学生っぽい僕という組み合わせが奇妙だったのか、
僕らが座るとそれまで座っていたカップルが立ち上がってどこかへと去っていった。


それから後、僕らはずっと無言で座っていた。
どれだけ経過したかわからない。
たくさんの人が通り過ぎたように思うし、誰も通り過ぎなかったようにも思う。
こんなことだろうかと僕は考える。
これぐらいの小さな女の子にとって
自分の名前というのはあくまで自分のもの、秘密のもの、もっと言うと神聖なものであって
それを他人が知っているというのは自分の世界に侵入されたような、揺さぶられたような出来事であり、
どう対処していいかわからなくなったのではないか。とにかく怖くなった。
違うかな。・・・違いそうだな。
本名とは別に自分だけのファンタジーっぽい名前をつけていてそれを言い当てたのなら別だろうけど。
結局なんだかよくわからない。
もしかしたらスケッチブック絡みのことなのだろうか。


泣き止んでかなりの時間が経つ。
僕は立ち上がり、「行こうか」と言う。
「うん」と言って女の子も立ち上がる。
ガラス張りの真四角な展望台とその先の海辺に向かって僕と女の子は歩き始める。

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風をあつめて6 http://d.hatena.ne.jp/okmrtyhk/20040824