メキシコ(9/6)その19 フリーダ・カーロ博物館

地球の歩き方」2004−2005年版には30ペソと書かれていたのに対し、
入り口には35ペソと書かれていて、40ペソ渡したらお釣が4ペソ。
さらに値上げしているらしい。この瞬間値上げしたのか、入り口の掲示が追いついてないのか。
物価の上昇が激しいとは昨日ガイドのNさんからも聞いてたが、
どこもかしこもと言うと言いすぎか、半分ぐらいは「地球の歩き方」に書かれている以上の値段だった。
(頻繁に上がりすぎていて、「地球の歩き方」も追いついていけない)
中に入ってさっそく写真を撮ると警官に「なんとかかんとかフォトグラフなんとかかんとか」と遮られる。
メキシコシティの観光施設は気前よく写真OKな場所とそうではない場所の区別がつきにくい。
撮ってると「ノーフォトグラフ」と言われることが今回何度もあった。
でも罰金を取ったりカメラを没収するような鼻息の荒さははなく、ノーと言われるだけ。
意図的に見逃してくれたり、興味のない警官もいた。
なので僕は警備の警官がいないところではこっそり写真を撮りまくっていた。国立宮殿とか、美術館とか。
今回は強く入り口を指差されたので、カメラを入り口で荷物と一緒に預けることになった。


フリーダ・カーロ博物館はフリーダ・カーロの生まれた家を博物館としたもの。
青がフリーダ・カーロの「色」なのか、家の壁一面に鮮やかな青が塗られている。
(これは後で訪れたフリーダ・カーロディエゴ・リベラ夫妻の家でも同じ。
 フリーダ・カーロの側の建物は全く同じ青で塗られていた)
夫妻の絵や、手紙、収集していた古代民族の置物が飾られている。
アトリエにはキャンバスが立てられ、絵の具のチューブが転がっている。
フリーダの着た色鮮やかドレス、フリーダの作った奇怪なオブジェたち。
(言語による表現不能
フリーダ・カーロの代表作、「2人のフリーダ」は近代美術館ではなく、こっちの博物館にあった。
2人のフリーダが不穏な背景の中で全く違う服を着て椅子に座っている。
2人の心臓が体の外に出ていて、左側のフリーダがその心臓から延びた太い血管を鋏で断ち切っている。


僕は未見だが、「フリーダ・カーロ」というそのままのタイトルでその生涯が映画化された。
そんなこともあって最近著名な画家であると思う。
情熱的に生きて、恋をして、情熱的な作品を残した女性の画家として。
今回メキシコシティに来るのだからフリーダ・カーロの絵を見て、ゆかりの地を尋ねようと思ったのだが、
正直じゃあ僕がフリーダ・カーロの絵が好きかというと実際そうでもない。グロテスクすぎて。
確かに芸術的な「何か」は感じ取れるんだけど、
夫であるディエゴ・リベロの方がその「何か」をもっと感じ取れる。
この博物館にも僕が見た限り3枚飾られているのを眺めたが、
ディエゴ・リベラの方が僕にとっては断然しっくり来る。
だったらわざわざ見に来なきゃよさそうなものだが、
フリーダ・カーロという人そのものにはやはり惹かれるんですよね。その人となりに、生涯に。


2階への階段に、自筆のものなのか集めたものなのか、
雲に包まれたイエス・キリストが人々の前に現れて奇跡を起こす場面を描いた絵葉書(?)の群れが
壁一面を覆い尽くしている。これが、なんだか、見ててすごい。


子供の部屋なのだろうか、小さいサイズのベッドが置かれていて、
枕の位置にデスマスクがそっと乗せられている。
共産主義の名だたる思想家の写真が壁に並んでいる。
マルクスエンゲルスレーニンスターリン毛沢東
毛沢東マルクスに並んでいるのだから、中国製か。
その名前は全て中国語で書かれている。


お土産屋で絵葉書を買う。
ディエゴ・リベラ 15ペソを2枚。
フリーダ・カーロ 8ペソ。(「乗合バス」)


中庭には熱帯の植物が植えられ、高く生い茂っている。
リュウゼツランの大きなやつとか。(植物のこと知らな過ぎだ)
陽射しが強く、風は冷たくというメキシコシティの8月の気候の中で
青々とした中庭は風景として美しく、この博物館の最も見るべきものはこの中庭ではないかとすら思った。
くっきりとした黄色に塗られたオープンカフェ用の椅子やテーブルのアンサンブルも見事。
ああ、なのにカメラがない。残念なことに。
でもよく見ると白人観光客はバシバシ写真を撮っている。
なんなんだろう?と思いながら出口に向かう。
出口で預けていた手荷物を受け取ると受付にいた男性がアジアの言葉で何かを言う。
僕がキョトンとしていると日本語で「シャシントリマスカ?」
中庭を指差す。僕は笑顔を浮かべて喜ぶ。
立っていた警官も「どうぞ」と中に手を振る。
僕はもう1度中に入って、写真を撮って出てきた。
最初のうち曇っていたから、日が出るのを待って。


次に向かう場所は「カルメン博物館」か「カリージョ・ヒル博物館」
どちらもさらに西へと歩いたところにある。
ウロウロウロウロ歩き回る。
大きな建物が建っていて、有刺鉄線で囲まれている。
なんだろうと思って半周してみたら工場だった。製縫?衣服らしいことは看板で分かった。
機械の音。大きくて単調な。その上を流れるラジオの音。ヒット曲が聞こえる。
中で働いているのは女性たちだろうか。


歩いているうちに「コヨアカン植物園」というところに出る。
門が開け放しになっていて入場料が取られないようなので中に入ってみる。
目の前をまっすぐに道が伸びている。その両脇には涼しげな林。
世界各地の植物を集めている、というようなものではなく、どちらかと言えば公園。
ジョギングをしている人たちをあちこちで見かける。
リスがちょこまかと走り回っている。たくさんいるようだ。
僕はそのリスを写真に捉えようと苦労する。


植物園を抜ける。13時ごろか。
地球の歩き方」を見たところでの僕の土地勘では
しばらく歩くと「Arenal」という通りに出るはずなのであるが、なんか様子が違う。
その隣の「Francisco Sosa」という通りを歩いているらしい。
東西南北がわからない。通りのどっち側に向かって歩いているのか判断がつかない。
僕の方向感覚が合っていればそのまま歩き続ければこの通りは「Arenal」に繋がるはず。
少し歩くたびに標識が出ていて、「Francisco Sosa」のままだったから迷い込んではいないものの
果たして2つに1つ、合ってるのか。ビクビクしながら歩く。
街を歩くなら地図を買っておけばよかったと後悔する。
地球の歩き方」の地図では大雑把過ぎる。
(でもまあ一人旅でテクテク歩いているとこういうときが最も楽しい。振り返ってみると)
この通りはどうも高級住宅地の中でもさらなる高級住宅地のようで、
豪華なお屋敷とセンスのいい店ばかりが並んでいる。
シックな佇まいのワインの店があり、
ロンドンで仕立てたかのようなしなやかなスーツを着た男性がその前に立っている。
建物は赤や黄色や水色、薄い紫色など色鮮やかに塗られている。
あちこちの扉に「無断進入禁止」のステッカーが貼られている。
扉の向こう、はるか遠くにお屋敷が見える。
こじんまりとした隠れ家のようなレストランが並ぶ。
こういうところで食事をしたらきっとおいしいんだろうな、
だけど僕には支払うことができないぐらい高いんだろうな、と思う。
そもそもカーゴパンツにサンダルでは入れてくれない。
観光客面をして歩いている僕は何もかもが場違い。
道に迷ってはないものの「迷い込んだ」という気持ちになる。


大通りに出る。とりあえず渡る。標識に出ている名前は「Arenal」!
合ってた!ヒヤヒヤした。。。
喜ぶのも束の間。まだまだ歩かなくてはならないし、ここから先も道が分かりにくいかもしれない。


「Francisco Sosa」ほどではないが、高級っぽい通りを歩く。
この辺は似たり寄ったりの家や店が続いていたのであんまり記憶にない。
左側がずっと公園になっていたことだけを覚えている。
車の流れの激しい大通りを渡る。この辺からまた少々怖くなってくる。
道は斜めに交差している。渡ったはいいが別な通りに入り込んだりしてないか?
また公園が見えてきて、中に大きな白い記念碑が立っているのが見える。
これは地図にあるラボンビージャ公園で、見えたのはオブレゴン将軍記念碑だ。ほっとする。
中に入って記念碑の写真を撮る。公園の中は噴水があって涼しげだった。
(なのに人はいない。こういう静かで涼しげなところにはほとんど人がいなくて、
 暑くて騒がしくて何もない場所だと人が集まるという傾向がメキシコにはありそうだ)


「La Paz」という通りに出る。今日ここからが一番迷った。
道沿いに進んでいけば「カルメン博物館」があるはずなのだが、見つからず。
カルメン通りってのがあったので「おお、じゃあ、これだろう」と勘違いしたのが間違い。
またしてもここは高級住宅街。場違いな日本人青年がうろうろと彷徨い歩く。
道を聞くにも高級すぎて人が歩いていない。
とにかくひたすら歩く。
そもそも「La Paz」通りの一歩手前で迷っているのではないかと気付いたらそこから先は早かった。
すぐにも「カルメン博物館」が見つかる。