青森帰省3日目−1

okmrtyhk2007-02-18


これまで同様、8時起き。
朝食の後、家中に掃除機をかける。


今回の帰省のハイライト、嶽温泉の小島旅館で家族3人1泊の日。
連れてってくれる妹が車に乗って来るのを待つ。


その間、米原万理「オリガ・モリソヴナの反語法」を読む。
昨晩から読み始めて、余りの面白さにやめられなくなった。
昨日まで読んでいた「長いお別れ」に負けず劣らず面白い。今回の帰省は大当たりだ。
「オリガ・モリソヴナの反語法」は03年のドゥマゴ文学賞を受賞している。
池澤夏樹が審査員だった年。
いやあ、これはすごい。とにかくすごい。
小説好きな人がいたら誰彼構わず「いいから読んでみてよ!」と薦めたくなる類の本。
歴史の思いがけない箇所にスポットライトを当て、その激流の中で翻弄される人間たちを描く。
見事に描ききった作品が面白くないわけがない。
(まだ全部読んだわけではないけど、本全体に漂っている勢いでひしひしと感じる)


妹が来て、しばらくしてから出発となる。11時半。
車に乗ってどこで食べる?と聞かれる。
特に僕の中ではプランはなし。「どこでもいいよ」と答える。
せっかくだから青森市の外がいい、というだけ。
嶽温泉は旧岩木町、現弘前市にあって岩木山の麓、南西側にある。
その途中のどこかだったら、どこでも。
僕としては五所川原にある巨大なショッピングセンター「エルムの街」ってのと
柏のイオンの中にある青森県内唯一の HMV に行きたかったんだけど、
少なくとも「エルムの街」は日曜で混んでいるから明日の方がいいと言われる。


そうこうしているうちに黒石市にある「Buffet 豆のや」ってとこに決まる。
国道七号線を折れ曲がる。
「豆のや」は「こみせ」の中にあった。
「こみせ」とは日本の道百選に選ばれたことのある、古きよき日本の佇まいを残す通り。
民家や商店が軒を連ね、家屋の前の歩道に屋根がかかっていて、端から端まで繋がっている。
三味線の演奏会の行われるおみやげ物屋が中心にあって、
そこを挟んで酒造が2つ、「玉垂」と「菊乃井」
「玉垂」はNHKの大河ドラマ「いのち」のロケで使われたことで有名。
(あれはもう、20年以上前・・・?)
くす玉の形に真ん丸く整えられた植え込みが2階の軒からぶら下がっている。
http://www.net.pref.aomori.jp/kuroishi/Sight_Seeing/Sig_Komise.html
http://www.jomon.ne.jp/~kkk/k_komise.htm


「豆のや」で昼食。昼はビュッフェ形式。
いろんなものが小鉢や小皿にちんまりと乗っかっている。
1300円で食べ放題、ってことになってるんだけど
どれもこれも大豆系、ないしは大豆タンパク系なので
いろんな種類があったところでどれも一緒。
豆腐ハンバーグ、大豆タンパクの焼き鳥、変わり豆腐、
湯葉を固めてチリソースをかけたもの、など。
夜は旅館でたくさん食べるだろうからと一通り少しずつ食べてみてそれで終わり。
この手の食事、うまいかって言われたらうまいんだろうけど、
なんつうか健康食品を食べてるみたいで、あんまり嬉しくない。


「豆のや」を出て、「こみせ」を歩く。
「菊乃井」で試飲ができるようなので、入ってみる。
由緒ありそうな酒蔵。どれぐらいの歴史があるのだろう?
屋号の染め抜かれた暖簾がかかっていた。凧もいくつか。
桃の節句の時期も近く、豪華なひな飾りがどっしりと構えていた。
仕込みの時期なのでこの時期は酒蔵見学はできないとのこと。残念。
一番小さい瓶で「菊乃井ヌーヴォー」というのを買う。しぼりたて。
帰ったらさっそく飲んでみようと思う。


その隣のお土産物屋へ。
ここの「つゆ焼きそば」なるものが今、黒石名物になりつつあるらしい。
というか名物に仕立て上げようとしているのか。
店の奥が食事処になっていて観光客が行列をなしていた。
どういうものなのか見なかった。あんかけ焼きそばみたいなものなのか。
なんとなく、深皿で食べる汁少なめラーメンのような気がする。
店内はひっきりなしにこの「つゆ焼きそば」のテーマソングが流れていた。
地元ミュージシャンが演奏したのか。正直しつこい。
ここで会社のお土産用にリンゴチップスなど買う。
リンゴの飴と、八甲田山麓の熊笹のお茶。


店を出る。母が黒石のお菓子に有名なのがある、
是非とも大家さんに渡したいということでその和菓子屋を見つけて入る。
こみせの並びにある、「まつむら」という店の「干梅」
四角くて平べったいお餅の中にあんこではなくて梅を練ったものが入っている(と思われる)。
ここもまた由緒ありそう。
店に入ると和菓子の陳列されている棚はさらっと小さなもので、
その背後にはものすごく大きなガラス棚が左右に2つ。
今の店主なのか先代なのか、さらにその先代なのか、
道楽(と言ったら失礼か)で買った古道具・古美術品の数々が飾られている。
壷や器のようなもの、粋な模様の団扇。地球儀なんてものもあった。
どの時代のものなのか僕には分からず。
弦を4本張った原始的な楽器が2つ壁に掛けられていて、
例えて言うならば「まんが日本昔話」で鬼が弾いてそうなやつ。
店の人にどこの国のですか?と聞いてみたら
「東南アジアの方らしいんですけど・・・」って困りだして、はっきりした答えは得られず。


車に乗って温泉へと向かう。
NHKのラジオがつけられていて、喉自慢の時間帯だった。
この日は会場が石川だっただろうか。
これは!という人は現れず、よくて鐘2つ。
その後、公開放送のバラエティーショーとなる。
テレビでは喉自慢だけだったとしても、
普段はその後あれこれ出し物が続いているのだろう。
会場に集まったお客さんを午後いっぱい楽しませるために。
歌に、クイズに、その日の出演者みな総出でコメディ仕立ての寸劇まで披露。
(ゲストの山本譲二が伝説の漫才師に扮していた)
名前を忘れたけど、「なーんでか?」の人も出てた。


田舎館村を通り過ぎる。
村の庁舎はお城の天守閣のような形になっている。地元の名物。
もう1つの名物として田舎館村は毎年毎年、田んぼに実る稲で絵画を形作るのだという。
ここには何を植える、というのはコンピューターで決める。
田植えと刈り取りはボランティアを募って。
モナリザなど描いたそうな。
最初のうちはなんだこりゃってなものだったのが、
年々続けているうちに絵がうまくなっているとのこと。
http://www.vill.inakadate.aomori.jp/ 参照。


7号線に戻って弘前へ。
弘前市に入って、城の近くを通って岩木山を目指す。


宿の入りは15時から。
まだ時間があるね、どこか見るところはないかって話してたら
「鳴海要記念陶房館」ってのが目に止まり、母が興味を持ち、入ってみることになった。
http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyo/shisetsu/kyouiku/htm_toboukan/toboukan/toboukan.html


僕はこの人のことを知らなかった。青森で生まれ、青森で活動していた陶芸家。
東京芸大の助手を務めた後で、青森に戻る。04年に亡くなる。
釉薬として「りんご釉」を開発するなど、青森ならではの陶器を追求する。
展示室で代表的な作品を見た後で(正直僕はこの人の作品は肌に合わないと思った)、
私設の方に窯に案内しましょうか?と誘われ、是非と中を見せてもらう。
津軽窯」という名前。昭和40年に作られる。
鳴海要が自ら住んでいた場所だったため、別室には煮炊き用の炉があったりする。
大きくてがっしりとした窯。所狭しと積み重ねられたレンガと薪。
焼き物のことは何も分からない僕ですらその風格を感じとることができた。
僕と違って焼き物好きな母は「立派な窯ですねぇ」と感心することしきり。
「今はもう使われていないんですか?」
係りの方曰く、03年に鳴海要が亡くなって
次の年にお弟子さんたちが集まって、1年ぶりに日を入れたとのこと。
「せっかくの窯なのだから使えばいいのにと思いますよ。
 最近は市民講座で学ぶ人も増えていて陶芸の裾野が広がっているのに、もったいない」


隣の陶房へ。その死の何年か前に建てられたもの。
晩年過ごした家は青森市に構えていたのだが、
いざ作陶となるとこの陶房に何日もこもっての作業となる。
よって風呂場など生活に必要な部屋も揃っている。
ふすまの引き戸がモダンな模様の陶器となっているなど、こだわって建てた意思が随所に伺える。
部屋の真ん中に電動のろくろが2つ並んでいる。
でもここを使うことは結局のところあんまりなかったんだろうな・・・


なお、鳴海要の奥さんはだいぶ年の離れた人でまだ若く
(鳴海要が60を過ぎてからの結婚だった)
青森市で息子と共に喫茶店やバーを開いているらしい。
作品をそのまま器として使っている。贅沢なことだ。
(店は「苧麻」と書いて「からむし」と読む。http://www.karamushi.com/