青森帰省3日目−2

okmrtyhk2007-02-19


(2月18日後半)


陶房を出て、あとは旅館に向かうだけ。
天気のいい日なのに、岩木山の山頂だけは雲に覆われている。吹雪かも。
車でひた走る。少しずつ少しずつ、雪が深くなる。
だけど新しく積もった雪ではないようだ。日々にさらされた、古びた雪だった。
(青森も黒石も弘前も、今にも雪が融けきってしまいそうになっていた)
リンゴ農園にリンゴの木が立っている。
今この季節ならば普通、風雪にじっと耐え忍ぶ姿のはずなのに、
雪は足元にわずかに層をなしているだけ。なんだか間が抜けて見える。


中通りがかった岩木山神社にお参りをする。
雪を踏みしめながら斜面を上っていく。
いくつもの鳥居や門をくぐりぬける。
有名だという「五本杉」の足元を歩く。
お参りに来ている人たちがちらほらといる。多くが家族連れ。
雪球を投げて壁にぶつけている高校生2人組がいて、
「神社の中だというのに不謹慎な・・・」と思っていたら
「雪球厄落とし」というものだった。
見ると小さな的がある。ここに見事当たると、厄落としになるという。
2人は何度投げても当たらない。
若い人たちでもだめなのだから僕には到底当たるはずもない。トライせず。
禊所で手を洗い、うがいをする。
近くに住む人たちなのか、ここの湧き水を大きなペットボトルに詰めて帰っていた。
お賽銭を上げて、「今年こそ小説家になれますように」と願い事をして、神社から出る。


車に戻って山道をひた走る。百沢温泉を通り過ぎる。
そこからさらに10分以上走ったところに嶽温泉があった。ようやく到着。
いくつか旅館が寄り集っている。
その中の1つに僕らが泊まる「小島旅館」があった。
車を降りるとすぐにも硫黄の匂いがしてきた。
駐車場の雪を溶かすためにお湯を引いてるのか、白い湯気が湧きあがっている。


入ってみると何の変哲もない日本中どこ行っても見つかるような普通の温泉宿だった。
しなびた、ってほどでもないが、ほどよく枯れている。
そういう場所を求めていたのだから、イメージ通り。
玄関入ってすぐのロビーと呼ばれている場所には
使い古したソファーが主のように置かれていて、健康器具が隅に転がっているような。
自販機と申し訳程度に置いたお土産用のお菓子と、付近の観光名所のパンフレットが並んだ棚。


3階へと案内される。「一番」と名前の付けられた部屋へ。もちろん畳敷き。
床の間があって、掛け軸が2つと枯れ木のオブジェ、貴乃花の手形をプリントした皿。
襖を開けて、テラスには椅子と灰皿を置くための小さなテーブル。
寸分の狂いもない、典型的な日本旅館の部屋。
このステレオタイプは恐らく昭和の時代からずっと変わりがないのだろう。
昭和のどこかの時代に確立されて、それっきりそのまま。
誰も変えてほしいと思っていない。旅館とはそういうものだと信じて、日本人は生まれ育つ。


僕らの泊まった部屋は残念ながら岩木山の反対側に面していて、
どちらかと言えば秋田方面、白神山地の方を向いていた。
白い雪の間に葉を落とした木々が半々ぐらいか。
テラスからはこじんまりとした嶽温泉の集落が見えた。
景気は良くも悪くもなく、そこそこな雰囲気が伺えた。
巨大資本が入り込んで大きなホテルを建てようものならひとたまりもないだろうけど、
まあそんなことはないだろう。


宿帳に記入する。
お食事は何時になさいますか?と聞かれて7時と答えたら驚かれた。
旅館のおばさんは「普通6時ですよ、あっても6時半ですけど」となんとも申し上げにくそうに。
「遅くに宿に入られた方ならば7時ということもありますけど・・・」
じゃあってんで6時半にする。
暗黙のルールみたいなものがあるようだ。


母は「お茶を飲んで30分休んでからにしないと返って疲れるんだよ」と言うものの、
僕は全く意に介さず温泉へ。4時前ぐらいか。
2階の浴場へと下りていく。
露天風呂はなく、浴室は1つだけ。
最初宿を選んでいたとき、このことを物足りなく思ったものだが、ま、いいかと思った。
こういう山奥まで来たのだから
商売っけのある気の利いた旅館ならば露天風呂は必ずあるだろうと。
それがそうじゃないんですね。


湯船は広々としていて、熱めのとぬるめのと浴槽は2つ。
ぬるめの方に入って乳白色のお湯の中に浸かる。
ぬるめといってもちょうどよい温度で、熱くもなく絶妙。
お湯は真っ白でほんの少しぬるっとしている。ほのかに硫黄の匂いがする。
浸かっていると体が見えなくなる。濃い霧の中にいるかのよう。
手の平を水面に近づけて初めて見えるぐらい。さすが源泉100%を謳うだけある。
僕以外にもう1人しか浴室にはいなくて、湯気であんまりよく見えない。
貸切のようで嬉しくなる。
思いっきり足を伸ばして、「ああ温泉だなあ。来てよかったなあ」と思う。
こんなとき、これからの将来のことだとか書いてる小説のことだとか
じっくり考えるべきなんだろうけど、そういう気持ちにもなれずただひたすらぼんやりとする。
取り留めのないことばかり浮かんでは消えていく。


温泉は好きだけど長々と入っていられない僕は早々に出て部屋に戻る。
入れ替わりで母と妹が入りに行く。
ビールを飲みたかったが、我慢する。食事の前にもう1回入りに行くつもりで。
寝そべってストーブの真ん前に陣取って「オリガ・モリソヴナの反語法」の続きを読む。
5時になると時報代わりに「りんごの唄」のメロディーが流れた。


その後母が戻ってきて、再度温泉へ。
子供4人の大所帯の家族が入っていて、
父親が1人ずつ男の子女の子順番にドライヤーで髪を乾かしていた。
ちょっと入っただけで上がる。
帰り際に今度は缶ビールを買う。
母か妹がつけたテレビを見る。NHKで「サイドマン・ブルース」という番組だった。
名前から察するに脇役列伝ってところなのだろか?
この回は角野卓造がゲストだった。「渡る世間は鬼ばかり」の。
ビールを飲みながらボケーっと眺める。この人が文芸座出身だということを知る。意外。


母が温泉の話をする。
おばあちゃんが入ってきて、話していたらどうも宿の従業員らしく。
「この付近ではここのが一番大きな浴槽なんですよ」
「他は露天風呂を持ってるけど、お湯を薄めないと2箇所に引けないからうちはやってない」
「熱いのとぬるいの2つの温度の浴槽を用意するのって大変だったんだよ」
といったことを聞く。
旅館の敷地の外れに離れがあって、
住み込みで働いているおばちゃん、おばあちゃんたちが
そこで寝泊りしているということも教えてもらう。
そうか。この近くに住んでいる人たちが働きに来ているのではなく、
みなそれぞれいろいろな過去や事情(ってほどのことでもないか)があって
ここで住み込みで働いているのだ。たぶん。


温泉の話で言えば、あちこちの温泉に行っている母曰く、
今青森近辺の温泉で気になるところは「後生掛温泉泉」と「古遠部温泉」この2つ。
なお、後者は「ふるとおべ」と読むようだ。


テレビを見る以外にすることもなく、腹も減ってきて
しまった、ご飯は普通に6時にしておけばよかったと後悔する。
6時になってそのままNHKでパレスチナ問題を扱った番組を見る。
世間は普通に日曜の夜なのだなあ、ということをその時なんとなく思った。


6時半になってお食事の用意ができました、と声が掛かる。
「あれ?部屋で夕食のはずが・・・」とがっかりする。
るるぶ」を見ていたら夕食は部屋で、とあったのでそこが気に入って選んだのに・・・
大広間なのだろうか?
案内されて向かったのは2階の別の部屋。なるほどね。
そこにお膳が用意されていた。
僕らが泊まっていた部屋に似ているが大きく違うところとしては押入れがなくて、
昼間に入浴と休憩だけのお客さんが来たときに使う部屋なのだろうと母か妹が言う。
そういうことか。で、食べている間に布団を敷くってわけか。


お膳は11品。12000円の一番上のコース。
思い出せるのを挙げてみると、
・マイタケの釜飯(いわゆるマタギ飯ってことで嶽温泉ではポピュラーなメニュー)
・マイタケの土瓶蒸
・天ぷら(海老、しし唐、マイタケなど)
・刺身(トロ、生鮭など)
・鍋、茶碗蒸、蟹の足
などなど。基本はマイタケ尽くし。
デザートは焼きリンゴ。この旅館の名物。
冷めていてもおいしかった。持って帰ってお土産にしたいぐらい。


こんなに食えるだろうか?と大食いの僕ですら不安に思う。
いや、僕なら全部平らげて他の人の分も食べるけど、
普通の宿泊客はこれ、全部食べきれるのだろうか?
それともこういう旅館の料理というのは豪勢さを目で楽しむためのものであって、
半分以上残したところでなんてことないのだろうか?
いつも気になっている。もったいないなあとその都度思う。
腹いっぱいになっても詰めるだけ詰め込む。


「さんまのからくりTV」を見る。
3年か4年ぶりに見たら、セイン・カミュボビー・オロゴンもいなくなっていた。
最後のご長寿早押しクイズもなし。


ビールだけじゃなくて、熱燗も頼む。
たくさん飲んだのに、さらにまた温泉に入りに行く。
この日3回目。
このときは他に誰も入ってなくて1人きり、今度こそ貸切。


戻ってきて、テレビを見てたのか、「オリガ・モリソヴナの反語法」の続きを読んでたか。
テレビでは「顔−1」という顔芸世界一を決める特番。
その後、「行列のできる法律相談所
島田伸介曰く、「今クールで面白いと思ったドラマは2つあって、
華麗なる一族」と「ハケンの品格」どちらも裏番組じゃないか!!」
華麗なる一族」にどうしても出たいとアピール。
見てるうちに眠くなって、寝る。