これまでの映画人生を振り返る その2

続き。それぞれの作品について語る。
これまでに何度か、何かしらの機会にあれこれ書いてきたことだけど。

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1.「アンダーグラウンド」(1995年 / 監督:エミール・クストリッツァ / 旧ユーゴスラビア


もう何度も書いてきて今更ですね。人生で最も泣いた映画。
第2部でホロホロと泣き出して、普通そこできれいに終わってもいいのに、
第3部が始まって「え?ここからまだ続くの?」と驚く。
登場人物たちの、その後。それまでの美しい情景を全て覆すようなえげつない光景の数々。
際限なく膨れ上がった憎しみに捕らえられた、呪われた人々。
それを「これこそが人類の姿なんですよ」と差し出す。
人が人として生きることの滑稽さ、悲しさ、惨めさをここまで描ききった作品って、ない。
どう頑張っても130キロ台しか出ないピッチャーが気力で、
直球勝負で、三振の山を築いていくような映画。
マジカルな場面が多いんで変化球投手のようだけど、
いや、この映画ではどうしてもそれが直球に見えてしまう。
僕の頭の中では、今でも、あの狂言回し的なブラスバンドの曲が聞こえてくる。

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2.「2001年宇宙の旅」(1968年 / 監督:スタンリー・キューブリック / アメリカ)


映画界一の天才ってスタンリー・キューブリックだと思う。
どういう着想を得たらラストのあの展開、めくるめく光の洪水と静謐な空間となるのか。
余りにも大きなものを描きすぎて誰もいまだその全体像をつかめていない、そういう映画なのだと思う。
宇宙とか、進化とか、そういうものが主人公であって、
個々の人間、その人生が全く視界に入っていないというところがまた、スゴイ。
驚くべきはこれが68年のものだということ。
技術はそこから先、際限なく進歩したけど、
2001年宇宙の旅」を超えるSF作品、「2001年宇宙の旅」を超える斬新な発想はなかった。
宇宙船が空虚な空間を進んでいくときの音楽が「美しき青きドナウ」であること1つをとっても、
この映画が発明してその後の道を切り開いたものは多い。

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3.「8 1/2」(1963年 / 監督:フェデリコ・フェリーニ / イタリア)


愛蔵版の DVD が出て、先日も見たわけですが。
http://d.hatena.ne.jp/okmrtyhk/20080911

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4.「パリ、テキサス」(1984年 / 監督:ヴィム・ヴェンダース / 西ドイツ)


荒野を彷徨う、記憶を無くした男。青空。何も無い景色。
そこにスライドギターだけの、ライ・クーダーの音楽が寄り添う。
この雰囲気だけでたまらないですよね。
最後の、覗き部屋のマジックミラー越しの会話って、脚本家ならば1度は書いてみたい情景なのでは。
男には別れた妻が見えていて、女は壁を挟んだ反対側に昔の旦那がいるということを知らない。
だけど、男が語りかけていくうちに、女は壁の向こうにいるのが誰か気付いて・・・
8mm で過去の、幸せだった頃の何気ない光景を映し出す場面も秀逸。
出来すぎなぐらいの瞬間ばかりなんだけど、この頃までのヴェンダースはとにかく誠実で。
観客と共に、出演者と共に、戸惑い、思い悩んでいた。
90年代以後のヴェンダースはそれが高尚で難解な問わず語りのようになっていって。
滋養はあるかもしれんが味気ない、そういうもののように僕は捉えている。

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5.「こわれゆく女」(1974年 / 監督:ジョン・カサヴェテス / アメリカ)


ジョン・カサヴェテスの最高傑作はこれか、「ラブ・ストリームス」
アメリカのどこにでもある普通の家庭が舞台。
愛をうまく伝えられず、こわれていく、人々の気持ち、絆、結びつき。
映画的虚飾に背を向けるカサヴェテスの視点は冷徹で残酷で、出演者は誰もが無残な扱いを受ける。
ささやかな幸福。感情のすれ違い。不器用さから来る、無様な振る舞い。
目を覆いたくなるようなシーンばかりが続く。だけどそれが、人生というものなのである。
人間を描くこと、描き切ることが映画の目的であるならば、
ジョン・カサヴェテスはその無骨なまでの不器用さゆえに、最高峰。
芸術もへったくれも無い。映画は映画。監督は役者ととことん向き合う。
カメラはそれをフィルムに焼き付けるだけ。
そしてそのフィルムをつなぎ合わせていって。
映画は、そういうものでしかない。
なのに誰1人として、カサヴェテスのようには撮れないでいる。

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6.「if もしも・・・・」(1968年 / 監督:リンゼイ・アンダーソン / イギリス)


知名度に関係なく、理由もなく好きな映画って誰にでもあるもんで。
「if もしも・・・・」 は今の時代の人に忘れられてる映画のように思う。
ティーンエイジャーが学校で革命を起こす。マシンガンを撃ちまくる。そんな白昼夢。
ただそれだけなんだけど、やけに鮮烈な印象があって。
主人公の男の子が学校を抜け出して喫茶店に行って、
ウェイトレスと2人して虎のフリをして求愛するシーンが忘れられない。

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7.「ひなぎく」(1966年 / 監督:ヴェラ・ヒティロヴァ / チェコスロヴァキア


女の子映画の最高峰。
自由な発想で作られた映画というと僕はこの作品をまず最初に思い浮かべる。
それぐらい斬新。何よりも映像のセンスがいい。
内容は2人の女の子がキャッキャキャッキャ騒ぎながらケーキを食べたり野原で遊んでるだけ。
なのにその背景として映し出されるのは孤独で灰色な、人気の無い東ヨーロッパの都市。
時代は「プラハの春」の前。この作品は上映後すぐに発禁処分となった。
女の子のパワーというものはどの時代のどの体制にあっても、今にも爆発しそうなピンク色なのである。

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8.「コード:アンノウン」(2000年 / 監督:ミヒャエル・ハネケ / オーストリア


映画の「終わり方」「終わらせ方」として、非常に画期的だった。
ミヒャエル・ハネケにとって映画を撮るということは何よりもまず知的なゲームなのだと思う。
何をどうしたら、観客の神経をエレガントに逆撫でできるか。
後味の悪さだけが残る。不安で不穏な気持ちになる。
ミヒャエル・ハネケからしてみれば、人間という存在が、生きるという行為が、
そもそも後味の悪いものなのだろう。

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9.「ボウリング・フォー・コロンバイン」(2002年 / 監督:マイケル・ムーア / アメリカ)


面白かった。ただ単純に面白かった。
「あ、こんな撮り方があるのか」「映画ってまだまだ捨てたもんじゃないな」
なんていろんなことを思った。
強迫神経症的な銃社会アメリカも一歩川向こうのカナダだとそもそも家に鍵かけてないぐらいで・・・
と実際にノコノコ歩いていっていきなりドアを開ける。喜んだマイケル・ムーアが「ほら、開いてる!」
手持ちビデオの安っぽさもあって、しょうもないおかしさを生み出す。
そんな場面もあれば、コロンバイン高校の銃撃の模様を監視カメラが捉えた
血も涙も無い、乾いた、事実だけが連なっていくずしっと重い映像もあって。
マイケル・ムーアについては賛否両論あって、一時もてはやされた分、最近は過去の人というイメージ。
でも、「自分が撮りたいものを撮る、言いたいことを言う、誰にもじゃなまされない」
当たり前っちゃ当たり前のことを貫く姿勢に僕は今でも共感していて。
とはいえ「華氏911」はそんなに面白くなかったし、「シッコ」結局見に行かなかった。
コロンバイン高校の銃撃の模様といった映画として、表現として突き抜ける瞬間は
ボウリング・フォー・コロンバイン」にしかないのだと思う。時代と芸術がシンクロした稀有な瞬間。

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10.「フィツカラルド」(1982年 / 監督:ヴェルナー・ヘルツォーク / 西ドイツ)


僕にとって、永遠のベスト10位。
アマゾンの熱帯雨林を切り開いて、オペラを上演する。そのために船が山を上る。
このとんでもなさ加減がヘルツォークの映画にそのままつながる。
映画ファンならばヘルツォークの孤高の精神に泣かずにはいられないし、
男ならば最後の「椅子」に泣く。
内容を文字にしたら「なんじゃそりゃ」って感じなんだけど、
実際に見てみると張り詰められた思いの強さにただただ圧倒される。切ない。
僕は「椅子」で号泣でした。人生で2番目に泣いた映画。