私的物語論、続き

物語って、究極的にはこの4つしかないんじゃないか。


 1)父と息子の物語
 2)父の娘の物語
 3)母と娘の物語
 4)母と息子の物語


いや、父と母の物語、息子と娘の物語があるではないか、
と考える人だっているかもしれない。


しかしそれは対になって閉じられている。完結してしまいたくなる。
世代間の掛け違いがあって、
どこか欠けたものがあって、過剰なものがあって、
きれいな対にならない。
むしろ連鎖としてつながっていく。
そこから葛藤が生まれる。
そこから物語が生まれる。


あとはこのバリエーションに過ぎない。
家族は共同体と読み替えられ、父は権力者の象徴となり。
娘は姉、息子は弟と役割を多重化される。


そしてこのふたりの間に割って入るものが、物語を揺り動かしていく。
父と息子と、家族以外のもうひとり。外から来るもの。
(漠然と「他者」と言うのは違う、と最近思う)


今日はここまで。

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追記。この持論を展開したら、さっそく先輩から。
「桃太郎は? 桃から生まれたけど」
「じゃあ「ウサギとカメ」は?」


前者は鬼という父と、桃太郎という息子。
後者はカメが厳格な父親でウサギが放蕩息子。
と、解釈してみたり。こじつけですね。