先日、蔦屋家電を訪れた妻が面白そうと
『アンソロジー カレーライス!!』という本を買ってきてくれた。
安西水丸、林真理子、小津安二郎、井上ひさし、町田康、
寺山修司、伊丹十三、獅子文六、阿川佐和子、東海林さだお、
内田百輭、藤原新也、よしもとばなな、吉本隆明、色川武大など
錚々たる面子が真剣になってカレーライスについて論じている。
http://www.amazon.co.jp/dp/4865060065
同じシリーズには「おやつ」「ビール」「お弁当」があるようだ。
やはりここでも
カレーライスなのかライスカレーなのかという永遠のテーマが論じられている。
しかも池波正太郎、向田邦子、北杜夫、山口瞳、吉行淳之介
といった名だたる方たちによって!
いわく、ごはんとルーが別々だとカレーライスだとか、
家で食べるものがライスカレーだとか。
どの説にも思わず頷いてしまう。
ライスカレーという言い方は最近減ってきたように思う。
街でも新しい店では見かけない。
そこには昭和の匂いがないといけない。
もはやインドだけではなくスリランカやパキスタンなど世界各地のカレーが
(少なくとも都内では)食べられるようになった今、
カレーは安食堂でかき込むものではなく
わざわざふたつみっつ乗り継いででも食べに行くものとなった。
こだわりのレシピや食材の店も多く、地位向上が著しい。
カレーライスかライスカレーか? とは作り方の問題ではなく、
それを食べる状況に寄るものだと思う。
ライスカレー専門店などというものはなく、駅前のなんでもある安い食堂。
アルミの容器に盛られたご飯の上にカレーがかかっていて福神漬けが添えられている。
スプーンは水でいっぱいのガラスの透明なコップの中に入った状況で出てくる。
このとき、ルーは粉っぽくドロッとしていたり
水っぽくサラッとしていてもどちらでもいいと思う。
同じようにその色が黒っぽかったり茶色っぽくてもいい。
じゃがいもは入っていても入ってなくてもいいが、入っているとうれしい。
肉はやはり豚肉であって、鶏肉や牛肉となると途端にカレーライスに昇格する。
何よりもそれは特別な食事であってはならない。
いつもの一日のいつものごはんでないといけない。
いや、誕生日なのに家が裕福ではなくて、
それでも母に手を引かれて珍しく外食となって
通りがかるたびに憧れの目で見ていた食堂の中でライスカレーを食べた。
そんな懐かしい、どこか寂しい思い出が伴うならばありか。
都内ではどこにライスカレーが残っているかと言うと
例えば神田の「栄屋ミルクホール」
必ずしもアルミの皿ではないけれど、
日本人の記憶の奥底にある懐かしい味。
「中村屋」や「デリー」といった昔からの名店とは対極だけど、
これはこれでひとつのカレーの完成形。