『シン・ゴジラ』

昨日の午後、休みが取れたので僕も『シン・ゴジラ』を見に行った。
周りのサブカル好きな人はたいがい公開すぐ劇場に足を運んでいた。
http://www.shin-godzilla.jp/index.html


さて、どこで見るか。
新宿のコマ劇跡のTOHOシネマズって行ったことないなと歌舞伎町に入ったら
劇場の入った大きなビルの陰からゴジラが顔を覗かせていた。
皆がスマホで写真を撮っている。僕も撮った。
歌舞伎町入り口の大きな通りは「ゴジラ通り」となっていた。


学生たちを初め世間はまだ夏休みなのか、
平日の午後だというのに劇場は大勢の人。
シン・ゴジラ』も空席わずか。
体感度の高い「MX4D」の方のシアターは終日完売、
空きがあるのは25時の回だけだった。
身の回りの何人かはリピーターとなって
爆音上映会があると聞くと遠くでも出かけていたりする。
単に大画面で見るだけでは物足りない。
より迫力ある音響と映像を求めることでゴジラはよりリアルな、
恐ろしい存在となる。


で、見てみたわけですが。
…ここまで全力で肯定したい気持ちと全力で否定したい気持ちが入り混じる映画は初めてだな。
特撮は100点満点。主役の長谷川博己竹野内豊の演技は80点。
野村萬斎ゴジラの中に入っているというだけで90点。
あとは軒並み30点というような。
石原さとみのすがすがしいぐらいに眩しい大根役者っぷりがマイナス200点。


脚本も30点かな。
ゴジラが東京を破壊する場面以外はひたすら
無責任な閣僚や縦割りの役人たちがいかに無能かが描かれる。
そこは案外テンポよく進んでダレることはない。
でもそれは編集のうまさであって。
「浅はかさ」以外に人間のどうしようもなさが一切描かれることはなく、
ドラマとしてはものすごく薄っぺらい。
そしてその人間が最後お約束として勝ってしまうんだから、物足りない。
いっそのことゴジラは東京を破壊しつくし、日本は壊滅して誰も生き残っていない。
人間が描けないのならいっそ皆蟻んこ扱いにする。
それぐらいのことをしてもよかった。
アメリカが核爆弾を落とすが、ゴジラはその放射能を飲み込んでさらに凶悪化するとか。
そして海を渡り、アメリカへ…


結局のところ一番ゾクゾクしたのは
過去のゴジラシリーズの危機迫る音楽が再利用されて、それが大音量で聞けたこと。
庵野秀明総監督はこだわりの「映像」で全く新しいゴジラ像を描くことはできたが、
「音楽」までは手が回らず。
そこは昔のをフィーチャリングして過去からの継続性を担保しようというのは
ちょっと安易かもしれない。
全く新しいゴジラの泣き声を生み出す、ぐらいのことを試みてもよかった。
東京を行き交う人たちは皆スマホをいじっているのに
肝心なところで聞こえてくるのは何十年も前のクラシック音楽というアンバランスさ。
その得意分野以外は全く攻めようとしない姿勢が、全力で否定したいキモチなわけです。
テクノロジーは黙ってもいても進化する。
表現として新しいものはここには一切ない。