音信不通

2日の日に全クラス対象の同窓会が開催された。
高校を卒業して24年目になるが、初めてのこと。
今年が全卒業生対象の同窓会の幹事の年というきっかけもあるけど、
40過ぎて人生の折り返し地点も見えてきたというのも大きいのだろう。


10クラスあって、当時450人ぐらいいた。
そのうちこの日来たのは、担任の先生7人を含めて100人ほど。
これを多いと見るか少ないと見るか。
故郷青森市で開催されたけど、
県外に住んでいてこの正月は帰っていないという人も多いだろう。
そもそも両親が転勤族で
高校卒業後は実家が青森市にないという人も話を聞くとけっこういるようだ。


それならまだいい方で、そもそも連絡のつかない人も多い。
あるクラスでは1/3が音信不通になってしまったと。
しかも区画整理があって
卒業アルバムの住所では葉書など送っても届かない地区もあるという。


2日に出席した人たちの半分以上を正直僕は知らない。
高校時代、クラスが離れていたとかで話したことのない人がほとんどだ。
名前にも見覚えがない。
残り半分は「そうだよな、この人なら必ず来るよ」という人たちだった。
今も青森市に住んでいて中心的に活動していたり、
県外に住んでいても周りとの連絡を絶やさず年末年始は必ず帰ってきたり。


逆に言うと、思い返してみて
「そうだよな、この人は音信不通になるだろうな…」
という人はやはり見かけなかった。
とにかく青森を出たくてたまらず、二度と戻りたくないという人もいるだろう。
当時表向きは波風を立てなかったけど折り合いの悪い人がいて、
二度と関わりたくないという人もいるだろう。


あの頃ヤンキーだった人たち。
あの頃とても勉強のできた人たち。
あの頃全く目立たなくて名前を覚えてもらうことのなかった人たち。
僕らは気にしないよと言ったとしても、彼らの方は一生許さないだろう。


18歳から先の人生が楽しいものになっているならそれでいい。
しかしそうじゃないんだろうな、
今もつらい毎日を送ってるんだろうなという人も中にはいるだろう。


…そしてこういう言い方はどうしても上から目線になってしまう。
かと言って僕ら100人の集まりが偽善的なものだったかと言えばそんなことはなく、
もっと単純なものだった。懐かしいから来たよ、という。
ただし、それができる人というのはある種の特権階級なのだというのは感じた。
皆の前に24年ぶりに顔を出せるというのは基本的に人生がうまくいっている人たちだ。


20代、30代ならばもっと無邪気に顔を出せたのかもしれない。
40代に入って人生に追い付かれると割り切れないことばかりになる。
あれから3日経って、そのことばかりを思う。