音楽は国境を越えるか

昨晩明け方に見た夢。
とある CD を見かける。
海外のミュージシャンがタイかベトナムか東南アジアのどこかの国に滞在して
過去の自分の曲やその場で書いた曲を、
現地のミュージシャンと一緒に現地のスタジオでレコーディングしたり、
ステージでライヴ演奏したときの音源をまとめたものだった。
(ジャケットを見ていると Throwing Muses のギターだという男性で、
 夢ならではの出来事としていろんなことがつじつま合わない)


おお、これはすごい、2017年No.1のアルバムじゃないかと盛り上がる。
しかしワクワクしたままジャケットを眺めたり裏を見てみたりしているうちに目が覚めてしまった。
どんな音なのか分からず。たぶん僕自身にも想像できないのだろう。


ここでふと思う。
アメリカとかイギリスのミュージシャンが単身東南アジアに乗り込んでアルバムをつくることってないな。
探せばあるのだろうけど、寡聞にして知らない。
アフリカはある。
ブライアン・ジョーンズがモロッコで録音した『Joujouka』や
ポール・サイモン南アフリカ共和国でコラボレーションした『Graceland』など。
南米もある。『Buena Vista Social Club』に代表されるように、ライ・クーダーなど。
(この辺り、直接的ではないにせよ
 植民地として支配した時代と支配された時代となんらか関係があるように思う)


逆もある。ひところ僕がはまっていたインドネシアの Yuna は
アメリカに渡って音楽活動を続けている。
誰でもできるものではなく、ある程度実績をつくってからのこと。
日本人選手がプロ野球の枠を飛び越えてメジャーリーグで挑戦するようなものだ。
そういう海外「進出」のほとんどがうまくいかなかった。
日本人はいまだに「スキヤキ」だ。


そういうのあってもいいと思うんですよね。
それこそ、Beck や デヴェンドラ・バンハート辺りが東南アジアのミュージシャンとセッションとか。
それがないということはハードルが高いんだろうな。
言葉(意思疎通)の問題やリズム(音楽的な作法)の問題。
若い頃全世界を旅したという経歴が売りのミュージシャンも
結局は自国に帰ってから音楽活動を始めたり、再開させていたりする。


この時代、別にその国まで行かなくてもいいわけだし。
ネット上でファイルをやりとりして音を足したり引いたりすればいいのだから。
ありそうだけど、まだ面白いものが世に出ていないだけなのか。
いや、ネットの時代になって流通経路は変わったとしても
それ以外の力学や制約はたいして変わらなかったのかもしれない。
ある種の権力構造のようなもの。
もし仮にタイやベトナムMySpace のようなサイトがあったとき、
アメリカの夢見るミュージシャンは音楽ファイルを預けるだろうか?
何でもいいから全世界にばら撒いてどこかに引っかかればいい、という以外に。


「音楽は国境を越える」という。本当だろうか。
聞きたい、という人が
遠く離れたそこにあるものをこっちに持ってくるということはできるかもしれない。
しかし、演奏したいという人が
ここにあるものを遠く離れたそこへ持っていくというのは難しいのかも。
隣り合った国に伝播するというのとは違って。
実際のところ、どうなのだろう。