先週買ったCD #31:2021/05/10-2021/05/16

2021/05/11: diskunion.net
安全バンド「LIVE! 1974~1976」 \1601
 
2021/05/12: diskunion.net
Rhiannon Giddens 「Tomorrow Is My Turn」 \1100
(V.A.) 「Music of Morocco : Recorded By Paul Bowles」 \6510
 
2021/05/13: diskunion.net
菊地雅章 「M」 \1300
P.M.P. 「Miles Mode」 \880
2021/05/15: diskunion.net
Kirkby / Hogwood 「Mozart Motets」 \680
Jerry Gonzalez 「Y Los Pirtes Del Flamenco」 \480
 
2021/05/15: tower.jp
Lucinda Williams 「Runnin' Down A Dream: A Tribute To Tom Petty」 \2640
 
2021/05/16: diskunion.net
吉田拓郎 「ベスト・コレクション」 \4123
 
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(V.A.) 「Music of Morocco : Recorded By Paul Bowles」
 
学生時代、いろんな先輩のお世話になった。
映画サークルの先輩には風変りな方が多く、それぞれに大きな影響を受けた。
その一人の方が映画を撮影するにあたって
当時一年生でまだ18歳の僕は
上半身裸にピッチリとした短パン、Gジャンという格好で
吉祥寺の井之頭公園を歩かされた。
でもその後で『いせや』で焼き鳥をおごってくれた。
 
その先輩からはいろいろとマニアックな音楽のことを教わったが、
その中のひとつがローリング・ストーンズを追い出されたブライアン・ジョーンズ
亡くなる前の1968年、モロッコを旅した時に録音した『ジャジューカ』であった。
呪われた幻の録音であって、聞いたら死ぬと。そんな尾ひれがついていたと思う。
まあ実際には先輩も僕も死ぬことはなかったわけだけど、
18歳や19歳だとそういう伝説みたいなものがなんともありがたいわけで。
 
そんなときに国立の DiskUnion で復刻版の CD が奇跡の入荷をしたと。
もちろん即買い。1000枚限定で、僕は81番だった。
確かに、その後このCDは見たことがない。
1993年か、1994年のこと。
レーベルの表記はなく CDの表面に「BJ-001」とあるのみ。
ブライアン・ジョーンズの頭文字だろう。海賊盤の可能性が高い。
 
その後すぐ、1995年に豪華なジャケットで国内盤が再発された。
以前入手したのとはなんか違うっぽいとこちらも買ってみた。
ディープで現代的な音へとリミックスした
ボーナスCDもおまけでついているということもあり。
 
このふたつ、どこがどう違うのか。
よく見ると最初に買った方は
「Brian Jones Presents the Pipes of Pan at Joujouka」というタイトルで
後に買った方は
「Brian Jones Presents the Pipes of Pan at Jajouka」だった。
微妙に違う。
前者は3曲のみで
”instrumentals #1” ”instrumentals #2” ”instrumentals #3”
とあるだけ。
後者は6曲で ”Your Eyes Are Like a  Cup of Tea” といったタイトルがついている。
でも聞いてみると後者の1~4曲目が前者の ”instrumentals #1” で、
5・6曲目が ”instrumentals #2” となるようだ。
プリミティブなパーカッションとけたたましい無数の笛が
同じフレーズを延々と繰り返していくうちに洪水のようになり、
陶酔が深まっていく。トランスを迎える瞬間がある。
後半は手拍子と男性の歌声、フルートのより簡素なバージョン。
 
”instrumentals #3” は? というと、
これが急に西洋音楽というか軽快なブルースのセッションとなる。
恐らくブライアン・ジョーンズが演奏に加わっているのだろう。
これは貴重だ。持つべきは絶対こちらの入っている方だ。
残念ながら前者のみ。
後者の正式な再発の方には含まれていない。
 
ネットで調べてみると、詳しい方の記述に寄れば
その演奏集団は元々『Joujouka』だったのが、
仲間割れして『Jajouka』に分かれたのだという。
1995年の再発時に協力したのは『Jajouka』の方。
なるほどなあ……
 
話は戻って、1993年か1994年か最初に買った方のCDに出会った頃
確か吉祥寺パルコ地下1階のパルコブックセンターで買ったのが
ポール・ボウルズの『雨は降るがままにせよ』
ロッコのタンジールを舞台に描かれる、現代人のどんよりとした不毛な姿。
アメリカとアフリカ、異なる文化の衝突は何の解決も迎えず、傷跡だけを残す。
坂本龍一が音楽を担当した映画『シェルタリング・スカイ』の
原作となった小説も書いている。
日本でもそちらの方で広く知られているか。
 
若い頃のポール・ボウルズ北アフリカを放浪し、
フランスではガートルード・スタインの知己を得ていたという。
1930年代にまずはニューヨークで作曲家として身を立てた。
1940年代後半にタンジールに移住するとそこから本格的に小説を書き始める。
シェルタリング・スカイ』も『雨は降るがままにせよ』も移住後の作品となる。
1950年代に入ってからは一時、
詩人アレン・ギンズバーグやブライアン・ガイシン、
タンジールは前衛的なアメリカ文学の生まれる拠点のひとつとなった。
(後にブライアン・ジョーンズを『ジャジューカ』に引き合わせたのが
 ブライアン・ガイシンとなる)
 
『ジャジューカ』とポール・ボウルズとで
ロッコは学生時代の僕にとっていつか行きたい国となった。
そして30歳を過ぎて、サハラ砂漠を見てみたいと実際に訪れることになった。
 
今回見つけた 「Music of Morocco : Recorded By Paul Bowles」は
そのポール・ボウルズが1959年にモロッコ
フィールドレコーディングした音源の CD化4枚組。
アメリカ議会図書館に保管されていたようだ。
作曲家の経歴ゆえにその地の音楽に興味を持ったのであろう。
豪華な箱に入ってブックレットは革張り。
めくってみるとバロウズギンズバーグと、タンジールで撮った写真なんかも。
解説はなぜか、Sonic Youth のリー・ラナルド。
 
僕がそれまでに触れたモロッコの音楽は『ジャジューカ』と
久保田真琴の Blue Asia のシリーズの1枚と
ロッコを旅した時にガイドの方が車の中でかけてくれたカセットテープ。
(あとはオーネット・コールマンの「Dancing In Your Head」か。
 彼にモロッコ行きを薦めたのはウィリアム・バロウズなんだとか)
 
1枚目から順に聞いていく。
素朴な笛と打楽器の単純なフレーズの反復で陶酔に分け入っていくというのは
何も『ジャジューカ』だけが特別なのではない、ということが分かる。
その地理的立場によりモロッコ
アフリカ、イスラム、西欧、3つの異なる文化の交点のひとつ。
この反復は中近東のアラベスク模様を音で表したものだろうか……
スーフィズムイスラム神秘主義が根っこにあるんじゃないかとも思う。
これを儀式のとき、夜を徹して演奏し、歌い、意識をなくしながら、
光と影とが入れ替わりながら、踊り続けたのであろう。
ヒステリックに全てを拒絶する瞬間も
全身全霊を込めて喜びを表した時もあったであろう。
そこではミュージシャンとマジシャンとは同義となる。
その中へとブライアン・ジョーンズも分け入っていった……
 
1枚目と2枚目の CD には『HIGHLANDS』とあり、
3枚目と4枚目の CD は『LOWLANDS』と。
高地と低地ということか。
高地の方が『ジャジューカ』に近く、陶酔的でどんどん盛り上がっていく。
低地は若干ゆっくり、噛み締めるかのように歌い演奏する。
どこか淡々としたところがある。
 
高地が儀式のための音楽であるならば、
低地は娯楽や記憶の伝承のための音楽ということか。
高地は通うのも大変な辺境の地であり、
わざわざ外部から訪れなければ各村は孤立しがちであるが
低地は交易も盛んとなる。
バイオリンのような弦楽器やタンバリンの鈴のような楽器が
用いられている曲もあった。
外から来た楽器を取り入れたのであろう。
 
そういった違いも俯瞰できるように録音、分類した
ポール・ボウルズの功績を改めて思う。
 
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安全バンド「LIVE! 1974~1976」
 
安全バンドの名前をどこで聞いたのかよく思い出せず。
うじきつよしの、こどもバンドとごっちゃになっていたようにも思う。
四人囃子の「一触即発」デラックス・エディションや
アンソロジー「錯」をこのところ聞いていて、
解説を読んでいるうちにそこで改めて名前を認識して聞いてみたくなった。
1970年代前半、四人囃子と近いところで活動していたバンドとなる。
日本ロック誕生の礎を築いた特異点のひとつ、
『ウラワ・ロックンロール・センター』のイベントにたびたび出演していた。
 
1975年の1作目「アルバムA」の再発を
まずは amazon で取り寄せて聞いてみたが、うーん、まだピンとこない。
次にこの「LIVE! 1974~1976」を DiskUnion の中古で。
こちらのほうが断然かっこいい。
日本語ハードロックのバンドとしてはかなりいいセンいっている。
生で見ることができたら一発でやられたと思う。
 
1976年の2作目「あんぜんバンドのふしぎなたび」を出して解散。
ヴォーカル・ベースの長沢ヒロは作曲家として
近藤真彦おニャン子クラブなど様々なアーティストに楽曲提供。
びっくりしたのがCM音楽で、
ハウスのバーモントカレー東洋水産赤いきつねとみどりのたぬき、
マンナンライフ蒟蒻畑。これらはこの方が書いたものだった!!
それで言ったら長沢ヒロの楽曲を聞かない日はない、ということになる。
 
それを知って聞くと、なんか少し変わってくる。
このライヴアルバムも演奏はいいんだけど、なんか普通だなあと最初は思う。
曲の、演奏の、こういう感じよくあるよねと。
でも、ふと思うに1970年代前半のこの時期
そもそも『普通の日本のロック』ってなんだろう? ということに思い当たる。
 
(歴史に名を残す大御所ばかりを引き合いに出すのは何ですが)
四人囃子にジャックスに村八分、Flower Travellin' Band ……
先駆者たちの音はどれも規格外だった。
それって、彼らの音楽的個性が際立っていただけではなくて、
そもそも日本のロックのイメージというものが
この時期定まっていなかったから自由にやれた、ということじゃないか?
お手本が海外にしかなくて、海外は余りにも遠かった。
 
そんな中、モヤモヤとまとまりつつあった日本のロックに
形を与えたバンドのひとつが安全バンドだったんじゃないか。
ブギウギ、ブルース、ファンクといった海外の音楽を
器用に取り入れてロックに着地させる、
押さえるところは押さえて出すところは出す、その匙加減。
ああ、日本語のロックってこんな感じになるんだなあと。
同時代のキャロルや少し後の甲斐バンド辺りと共に。
それができたのは、この長沢ヒロの天性のポピュラリティーにあったのでは。
 
とはいえ、レコードコレクターズ増刊の
『日本のロック/フォーク アルバムベスト100 1960-1989』を開いてみても
安全バンドの名前は一切出てこないので
僕の考えたことも根拠のない妄想にすぎないのかもしれない。
 
1970年代のロックと言われて思い浮かべる
生真面目さと悪ふざけが同居するような、
キラキラしつつも時代のかなたで色あせたような音。
それは70年代の映画の持つ質感にも似ている。
僕が持っている中で一番近い音楽はどこだろう? と考えてみたら
70年代後半の『太陽にほえろ!』のサントラ。
ザ・スパイダース沢田研二のバックバンドだった
井上堯之大野克夫が手掛けている。
安全バンドからハードロックの要素を弱めて、
ソウルっぽくすると『太陽にほえろ!』のテーマ曲や挿入曲も案外近いのでは。
70年代の硬派な警察ドラマの似合う、音。
 
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吉田拓郎 「ベスト・コレクション」
 
吉田拓郎を初めて聞いたのは中学3年生の時だった。
生徒会の活動に関わることになった中で
一学年下で一人仲良くなったのがいた。
同じ匂いを感じたのだろう、あるとき自転車に乗って家を訪れることがあった。
その時に、手塚治虫の全集が本棚いっぱいに並んでいた彼の部屋で聞かせてくれた。
カセットテープをラジカセで。
”おろかなるひとり言” ”今日までそして明日から” ”イメージの詩” ”マークII
といった並びだったように思う。
そのテープを編集したのは美術、技術の先生だった。
小児麻痺を患って軽く足を引きずっていたことを覚えている。
僕もそのテープを借してもらい、家でダビングした。
ダビングにダビングを重ねて、音は全然よくなかった。
 
人によってはここでピンとくるかもしれないが、
このテープに入っていたのが ”ペニーレーンでバーボン”
歌詞の中にある『つんぼ桟敷』という表現が差別語に当たるとして問題になり、
収録されたアルバム「今はまだ人生を語らず」は長らく再発されていないし、
(それはつまり、ヤフオクamazon なんかで高額で取引されているということになる)
90年代以後に編まれたベストアルバムにもこの曲は収録されていない。
例えば1999年に発表されたそれまでの集大成的なCD2枚組のベストアルバム
吉田拓郎 THE BEST PENNY LANE」であるとか。
せめてアルバムのタイトルに、という苦肉の策が伺える。
 
誰に対する何の配慮なんだろう。
何十年も前の小説が文庫されるとき、
差別用語が含まれるが、作者の意思を尊重してそのままにしている
という巻末の記載をよく見かける。
吉田拓郎だって弱者を攻撃したくて書き、歌ったわけではないだろう。
その後それっきりになってしまったのは
吉田拓郎も騒動に辟易してしまったのか、過去は過去で終わったことなのか。
 
今回入手したベストアルバムには”ペニーレーンでバーボン”が入っている。
そのために探したわけではないんだけど、
吉田拓郎のベストアルバムはたくさんありすぎてどれも帯に短し襷に長しで。
”結婚しようよ” ”落陽” 森進一に提供した”襟裳岬”と
知名度の高い名曲はたくさんあるし、
僕にとっての上記の4曲といった思いれのある曲もそれぞれにあって
どのベストアルバムもしっくりこない。
たまたま出会ったベストアルバムから入ったという人以外は、
皆そうなんじゃないかと思う。
 
そんな中、このベストアルバムはかなりいいところいってんじゃないかな。
1970年代前半のソニー時代まで。
”今日までそして明日から” ”結婚しようよ” ”旅の宿” ”おきざりにした悲しみは”
御伽草子” ”シンシア””竜飛岬” ”春だったね” ”祭りのあと”
”ペニーレーンでバーボン” ”夏休み” ”落陽” ”人生を語らず” ”襟裳岬
なかなかいい。でも……
あーあれも入ってない、これも入ってない。
たどり着いたらいつも雨降り” も ”やせっぽちのブルース” も ”望みを捨てろ” も。
かといって2枚組、3枚組に目いっぱい詰め込めばいいのでもない。
中学校の先生のように自分でテープを作るしかないんだな。
あのテープをそのままプレイリストにしたいんだけど、
残念ながらもう実家にもないはず。
こういうものこそ取っておけばよかった。
 
ちなみに。
BS-TBS町中華で飲ろうぜ』で流れている ”午前0時の町”
名曲だなあと思いながらいつも聞くんだけど、
この曲の入ったベストアルバムは今のところないのかな。
フォーライフ移籍後の「明日に向かって走れ」に収録されている。
これもいいアルバムなんですよね。
いや、この曲を見つけてきた番組スタッフは慧眼だと思う。