脳と記憶というもの

先週金曜の『チコちゃんに叱られる』はなるほど、と勉強になった。
なぜ、顔は思い出せるのに名前が思い出せないのか。
40過ぎて僕もガクッと。
体力とともに記憶力が衰えてるのかと思っていた。
 
それが違った。
イメージで覚える右脳は容量が際限なく、
言語で覚える左脳は容量に制限があるのだと。
なるほど、そういうことか! と膝を打った。明快だ。
誰だってそうなのだ。
 
だから記憶術の多くがイメージで覚えるのか。
3,000人の顔と名前を一致させている銀座の高級クラブのママは
その人の顔と名刺が一緒に収まるフレームをつくって覚えるのだと。
そのとき笑顔がどうだっか、ということも合わせて。
 
番組では他、エピソードと一緒に覚えるのがいいと。
物語が人類の記憶を、歴史を、形作ってきたということですね。
 
僕も左脳記憶のキャパシティがいっぱいになったわけで、
それを広げられないものか。
あるいは不要なものを捨てられないか。
そういう本はいくらでも出てそうだし、サプリもありそうだ。
 
思考のツールとして言語は最強にして唯一だが、
一方でとても脆いものなのだな、ということを改めて思う。
自由自在に使えるようでいて制約も多い。
無限に成長して吸収する、思考が高度になって深さを増す、ということはない。
むしろ日々もがいているうちに、諦めてルーチンで考えるようになる。
いや、考えないようになる。
そのもがくというところをずっと続けていれば少しずつ磨いていけたのかもしれない。
しかし、30過ぎてあんまり考えなくなってきて、
それが遅れて40過ぎてキャパシティが固定されることになったのではないか。
緩やかな硬直が進んでいって。
そう考えると怖い。もう元には戻れないのか。
 
脳トレとかバカにしてるつもりはなかったけど、これまで特に興味を持たなかった。
あれ今からでもやった方がいいのかな。
身体にとってのジョギングみたいなものが脳にも必要なんじゃないか。
まあそもそもは億劫がらずに自分で考えるということが大事なんだけど。