しおりというもの

映画や演劇を見たときの半券などを取っておいて、
文庫本を読むときのしおりにする。
今、佐伯一麦の『ノルゲ』を読んでいて、
3月に行った鴨川シーワールドの入場券をしおりにしている。
タイムラグはあるけど、だいたいいつ読んだのかがわかる。
 
先日奥泉光の初期短編集を読んでいた時は
劇団「百景社」の半券だった。
こういった組み合わせも、後々意味を生みそうに思う。
軽い読み物程度だと
タワレコや DiskUnion のディスカウントクーポンだったり。
 
岩波文庫だと広辞苑に掲載された言葉から、
といったように出版社が用意するしおり。
夏の百冊といったフェアで限定物が登場したり。
Book 1st などの書店が独自に用意するしおりもある。
コレクションしている、という人もいるのではないか。
集めだすと無限といっていい種類になると思われる。
 
古本を買ったときに挟まっていて、
何十年も前のフェアや新刊書籍の紹介を眺めることがある。
こういうのもひとつのタイムカプセルなのだな、と思う。
 
あるいは旅先でかさばらないお土産として買うとか。
和紙のもの、藍染めのものなど。
ああ、これは誰それにもらったものだとか、
どこそこに行ったときに買ったものだとか、
たまたま文庫を開いたときに出てきて懐かしく思う。
 
文庫に紐がなく、出版社のしおりも書店のしおりももらえなかった。
そんなときにレシートで代わりにすることもある。
その時の読書が味気ないものになるかというと案外そうではないもので。
ああ、このとき缶チューハイをまとめ買いしたのか、とか、
108円のものを買って1万円を出したというのはお札を崩したかったのか、
といった記憶も甦ってくる。
その本を買った時のレシートよりも全然関係ないものの方が面白い。
過去の自分とのちょっとした対話となる。
だいたい、しょうもないものを買っている。
 
要らなくなった名刺をしおり代わりにする、という人の話を聞いたことがある。
さすがにそれは、なんか難しい。