弟の話

兄はとある山奥の村に住んでいて、もうすぐ50になろうとしている。
代々村長の家系で、10年前に父から受け継いで以来なんとか村を束ねてきた。
雨が降らず、冷たい風が吹いて不作の年が続く。
長いことかかってこじれてしまった隣村との戦いはどうにも避けられないものとなってきた。
 
3つ離れた弟がいたが、主人公が学校に通っていた13の頃、神隠しにあっていなくなった。
父も母も嘆き悲しんだが、しばらくするとその弟は元からいないものとなった。
服や教科書の類が燃やされた。
それも不憫かと兄は小さな葛籠に
弟の買った本や文房具や玩具のいくつかを詰めて蔵の奥に閉まっておいた。
その葛籠のこともいつしか忘れてしまった。
 
隣村との話し合いも険悪なものとなって、兄はとぼとぼと帰ってくる。
すると家の前に小さな男の子がいる。よく見ると10歳で神隠しにあった弟だった。
驚く。なぜ歳を取っていないのか?
 
家人に見られないように、ふたつあった蔵のひとつへと連れていく。
かつては蓄えやあれこれの器具をしまっておいたが、
長年の不作で多くのものを手放して空っぽになっていた。
そこを戦いが起きて捕虜を得たときの座敷牢として念のため仕組みを整えていた。
その中に弟を押し込む。
明日にも戦いが起きて危険だからかくまうのだと。
今も兄のことを慕う弟は何一つ疑おうとしない。
 
息せき切ってまくしたてる弟の話を聞くが、単語がさっぱりわからない。
未来の世界に行っていたのだという。
遠くの人と話すためのもの、空を飛ぶためのもの、どんな病も治す薬。
夢物語としか思えない。
なぜ10歳のままなのかはわからないが、弟は気が狂ったのだ、
やはり座敷牢から出すべきではないのだと兄は考える。
毎朝毎晩自ら食事を運んで下の世話をする。
弟の話は取り合おうともしない。
もうひとつの蔵も蓄えが尽きようとするとき、弟のために残しておいた葛籠を思い出す。
運んで中に入れると弟はとても喜んだが、その頃には元気をなくしていた。
かつて読んだ本を開く気力もない。
毎日の食事も食べなくなった。
 
戦いが始まり、村は焼き尽くされる。
兄も死ぬ。生き残ったのは痩せ細った座敷牢の弟だけとなる。
隣村の男たちが見つけ、まだ子供だからと殺されるのは免れる。
しかし葛籠の中のものは全て火をつけられる。
弟は隣村に連れていかれる。
食べ物を与えられ、少しは体力を持ち直す。
弟は未来のことを話すが、やはり気違い扱いされる。
同じように座敷牢に閉じ込められる。
 
そのまま10年、20年と経過した。
国のあり方そのものが変わって、村は解体された。
誰にも口をきかない弟は一人、遠くの町に追いやられる。
その町で掃除だとかゴミ拾いだとか簡単な仕事をして暮らしていく。
一人きり年老いていく。
遠くの人と話すためのものが生まれ、空を飛ぶためのものが生まれるのを目にする。
どんな病も治す薬を与えられ、何の未練もない命が延ばされる。
 
あるとき歴史を学ぶ者だという偉い先生が来て、
遠くの村で起きた戦いのことを知りたいという。
唯一の生き残りに話を聞きたいと。
しかし弟は首を振り、何十年かぶりに声を出す。
しわがれて壊れてしまったような声で一言、「話すことは何もない」と。