鳥観図というもの

先日、石神井公園の池でボートに乗った帰り、ふるさと文化館に立ち寄った。
妻が「鳥観図 -空から見る大正昭和の旅ー」という過去の企画展の図録を買った。
これがなかなか面白くて仕事の合間に眺めていたりする。
最初が「江戸名所一覧双六」という題で、
日本橋を中心として隅田川東京湾、遠く向こうに富士山が見える。
全国の鳥観図もあって、青森県だと陸奥湾青森市の街並み。
かなりデフォルメされていて、津軽半島下北半島はないに等しく、
単体の岩木山よりも八甲田山の連峰が比べ物にならないぐらい大きい。
 
後半は東京近郊の鉄道沿線案内図。
珍しいところだと後に世田谷線東急田園都市線に置き換わった玉川鉄道。
この辺りになると山や川といった地形、家々の密集している地域といった誇張はありつつも
ある程度正確性というものが加味されてくる。
面白いのは東武鉄道の路線図で、浅草から北千住までは普通に地図っぽく描いていて、
そこから先は実際の地形の通りに描いていたら長くなりすぎて描ききれないのだろう、
町並みをジグザグに折りたたんでその間を線路が上に下に通り抜けるようになっている。
 
地図とは2次元の平面。
それが当たり前になってしまうと、思い込んでしまうと、
3次元の空間を2次元の中に描こうとする鳥観図は
いったい誰が最初に思いついたのだろう、天才がいたんだな、なんて思ってしまうが、
実は鳥観図の方が先なのかもしれない。
見たものを見たままに描くのが普通だから。
3次元のものを2次元へと情報を集約する方が高度な編集が働いている。
 
しかし、遠近法というものが洗練されていくのがルネサンスの頃なので
見たものを見たままに描くということが難しかったし、そもそもそういう発想がなかった。
描きたいことの象徴性、テーマに基いて配置するのが絵画であったから。
なので今あるような鳥観図が描かれるようになったのもだいぶ後になってからだろう。
しかも現代のようにヘリコプターからの空撮や
ドローン、人工衛星からの写真撮影があるわけではないので
高い塔や崖の上から見下ろせる範囲でないものは想像に頼らないといけなかった。
 
ある時から人類は対象をリアルに捉え、再現する方向性でテクノロジーを発展させた。
でないとある物事をしようとしたとき、
どれぐらい時間がかかるのか見立てられないということになる。
それが2次元の地図となり、3次元の鳥観図となり、あるいは写真そのものとなった。
そこでは製作者による多少の意匠・デザインはあっても、正確性がまずは求められた。
 
20世紀の後半にそれが達成され、ネットの時代になり爆発的に情報量が増えた。
データはいかようにも加工されるようになった。
これから先はリアル+想像性・創造性のハイブリッドがどんどん増えていくのだろう。
デフォルメの利きすぎた鳥観図をつくって
リアルに重ね合わせたり、リアルに戻したりという。
 
地図とは、鳥観図とは、この世界をこんなふうに見ているという見方を具現化したもの。
リアルにこの世界を見るだけではなく、もっと想像的に見る時代へと人類は向かっていく。
歴史とは振り子のように揺り戻していくもの。